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近江・善立寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年11月28日 (土)
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+ | *恵空(1644-1721)<>:東本願寺学寮の初代講師。1644年(正保1年)生。信空の子。1661年(寛文1年)延暦寺で天台宗を学ぶ。1663年(寛文3年)故郷に戻り真宗に帰す。1669年(寛文9年)頃までに京都に入り誓願寺円智に師事。1670年(寛文10年)、円智の推薦で東本願寺御堂衆となる。1680年(延宝8年)京都西福寺住職。1683年(天和3年)坊官粟津大進の命で御堂衆を辞して学問に専念する。1692年(元禄5年)西福寺を辞す。1709年(宝永6年)請われて大坂天満の本泉寺で講義を始める。1715年(正徳5年)東本願寺17世真如に僧侶の養成を命じられ、学寮を任される。1716年(享保1年)安居を始める。1721年(享保6年)12月8日死去。光遠院。(「光遠院恵空略年譜」[http://id.nii.ac.jp/1374/00003620/]) | ||
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2020年11月28日 (土) 時点における最新版
善立寺(ぜんりゅうじ)は、滋賀県守山市金森町にある、蓮如ゆかりの浄土真宗寺院。本願寺遷座旧跡。因宗寺と共に金森御坊を管理する。善龍寺とも。秀光台と号す。山号は金園山。(参考:同名寺院善立寺)
歴史
創建不詳。蓮如の側近の道西坊善従が開いたという。『金森善龍寺家之物語』には1463年(寛正4年)に金森惣道場と善従にそれぞれ親鸞絵伝を下付したというので、惣道場とは別に善従の自坊として建てられた寺院があった可能性がある。 親鸞存如連座御影、「筆始めの御文」、「正信偈大意」などを伝える。
組織
住職
- 1善従(1399-1488)<>:道西坊
- 2善秀()<>:
- 3善空()<>:
- 4善了()<>:
- 5浄安()<>:
- 6信空(1617-1691)<>:1617年(元和3年)生。1691年(元禄4年)2月28日死去。75歳。
- 恵空(1644-1721)<>:東本願寺学寮の初代講師。1644年(正保1年)生。信空の子。1661年(寛文1年)延暦寺で天台宗を学ぶ。1663年(寛文3年)故郷に戻り真宗に帰す。1669年(寛文9年)頃までに京都に入り誓願寺円智に師事。1670年(寛文10年)、円智の推薦で東本願寺御堂衆となる。1680年(延宝8年)京都西福寺住職。1683年(天和3年)坊官粟津大進の命で御堂衆を辞して学問に専念する。1692年(元禄5年)西福寺を辞す。1709年(宝永6年)請われて大坂天満の本泉寺で講義を始める。1715年(正徳5年)東本願寺17世真如に僧侶の養成を命じられ、学寮を任される。1716年(享保1年)安居を始める。1721年(享保6年)12月8日死去。光遠院。(「光遠院恵空略年譜」[1])