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近江・本行寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
近江・本行寺
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'''本行寺'''(ほんぎょうじ)は滋賀県東近江市種町(近江国神崎郡)にある[[浄土真宗]]寺院。[[浄土真宗本願寺派]]。[[院家寺院]]で[[真宗本願寺派の別格寺|別格寺]]だった。旧称は'''西蓮坊'''、'''西游寺'''。'''威徳閣'''、'''御児御所'''と号す。(参考:同名寺院[[本行寺]]) == 歴史 == 1521年(大永1年)、西蓮坊教順が創建。西蓮坊という寺名だったと考えられ、『天文日記』1551年(天文20年)11月28日条にある「西□坊」に該当すると考えられている。のち西游寺の寺号許可。最初は犬上郡河瀬庄にあったという。1630年(寛永7年)までには現在地に移転。 本願寺継承前の准如(1577-1630)が住職となり、顕如が[[越前・本覚寺]]と[[越前・興行寺]]の一字ずつを取り「本行寺」と命名し、両寺の末寺・門徒を与えられた。1588年(天正16年)12月、准如は本行寺を御児御所と改称したという。 准如の子の准悟が本行寺の寺号を継承。1622年(元和8年)、准如は相模[[最宝寺]]末の中国地方の[[備後・光照寺]]など400寺を本行寺准悟の末寺とするように命令。これはすぐには実現しなかったが、1631年(寛永8年)良如の命令で移管が実現したという。 准悟が西游寺に入寺したという説もあるが、旧梵鐘に「慶安二年八月四日。超順。江州神崎郡種村西游寺」とあることに合わない。 1635年(寛永12年)の准悟の没後、1669年(寛文9年)、その子の良従が西游寺に入寺し、再度、本行寺と改称し、[[院家寺院]]となった。 良従は1668年(寛文8年)、本山鎰役となる。 (日本歴史地名大系) [[Category:滋賀県]]
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