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近江・金剛定寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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'''金剛定寺'''(こんごうじょうじ)は、滋賀県蒲生郡日野町にある[[天台宗]]寺院。[[聖徳太子建立四十八寺]]の一つ。本尊は[[十一面観音]]。通称は'''中山寺'''。山号は龍護山。鎮守は熊野神社。
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'''金剛定寺'''(こんごうじょうじ)は、滋賀県蒲生郡日野町にある[[天台宗]]寺院。本尊は[[十一面観音]]。通称は'''中山寺'''。山号は龍護山。鎮守は熊野神社。
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== 歴史 ==
== 歴史 ==
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[[聖徳太子]]が創建。752年、[[東大寺]]実忠が四月堂を建立。東大寺別院だったという。
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[[聖徳太子]]が創建。普通は「太子建立四十六寺」とするが、寺伝では「太子建立四十八寺」の一つという。752年、[[東大寺]]実忠が四月堂を建立。東大寺別院だったという。
中世の資料によると50に及ぶ子院を擁した大寺院だったが、戦乱で大きな被害を受けた。
中世の資料によると50に及ぶ子院を擁した大寺院だったが、戦乱で大きな被害を受けた。

2018年11月18日 (日) 時点における版

金剛定寺(こんごうじょうじ)は、滋賀県蒲生郡日野町にある天台宗寺院。本尊は十一面観音。通称は中山寺。山号は龍護山。鎮守は熊野神社。

歴史

聖徳太子が創建。普通は「太子建立四十六寺」とするが、寺伝では「太子建立四十八寺」の一つという。752年、東大寺実忠が四月堂を建立。東大寺別院だったという。

中世の資料によると50に及ぶ子院を擁した大寺院だったが、戦乱で大きな被害を受けた。 中でも1571年の織田信長の焼き討ちは大打撃だった。 (日本歴史地名大系)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E3%83%BB%E9%87%91%E5%89%9B%E5%AE%9A%E5%AF%BA」より作成

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