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野田神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
2011年9月7日 (水) 時点におけるWikiSysopKARASUYAMA (トーク | 投稿記録)による版
野田神社(のだ じんじゃ)は、毛利敬親(もうり たかちか)を祀る霊社である。
豊栄神社境内には毛利本家祖霊社が祀られていたが、毛利家の東京移転により、祖霊社も東京に遷座した。1873年(明治6年)、旧祖霊社社殿に毛利敬親を祀り、境内別殿として中正神社を創建した。中正神社の名称は敬親の諡号である「中正公」に由来する。1876年(明治9年)10月には中正神社を野田神社と改称、県社となる。(以上、森岡2003)
1886年(明治19年)、野田神社は現在地に遷座。1898年(明治31年)、毛利元徳(もうり もとのり)を野田神社に合祀。1915年(大正4年)、野田神社、別格官幣社となる。同殿とすることに差し支えがあったのか、1916年(大正5年)、野田神社摂社芳宜園神社を創建し、本殿の毛利元徳を遷座した。しかし、毛利元徳四十年祭に当たって、その功績が認められて、再び1936年(昭和11年)、芳宜園神社を野田神社に合祀して本殿に祀られた。
現在、社殿むかって左に仮殿があるが、芳宜園神社旧殿だろうか。