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陸奥・東光院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月16日 (土)
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- | '''東光院''' | + | '''東光院'''(とうこういん)は、宮城県角田市(陸奥国伊具郡)にあった[[修験道]][[本山派]]の寺院。本山派[[二十七先達]]の一つ。'''鎮護寺'''、'''大門坊'''と号す。'''金津東光院'''ともいう。山号は鬼越山。(参考:同名寺院[[東光院]]) |
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+ | 承和13年(846)、開山の僧が、安達ケ原の鬼女を追い詰めて討ち取った地を与えられ創建したという。最初、東光坊や大門坊と称したが、その後、連上院と称した。36世養元から東光院と称した。大正8年(1919)、廃絶。(日本歴史地名大系) | ||
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2017年9月16日 (土) 時点における最新版
東光院(とうこういん)は、宮城県角田市(陸奥国伊具郡)にあった修験道本山派の寺院。本山派二十七先達の一つ。鎮護寺、大門坊と号す。金津東光院ともいう。山号は鬼越山。(参考:同名寺院東光院)
歴史
承和13年(846)、開山の僧が、安達ケ原の鬼女を追い詰めて討ち取った地を与えられ創建したという。最初、東光坊や大門坊と称したが、その後、連上院と称した。36世養元から東光院と称した。大正8年(1919)、廃絶。(日本歴史地名大系)