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飛騨護国神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
飛騨護国神社(ひだ・ごこくじんじゃ)は、岐阜県高山市堀端町の高山城跡にある招魂社。内務大臣指定護国神社に指定されていないが、戦後、指定相当として扱われている。年代による変遷があるが飛騨国地域は富山連隊区の管轄下となっていた時期が長いことが背景にあるとみられる。県内には指定護国神社として岐阜護国神社、濃飛護国神社がある。 飛騨大神宮、祖霊殿、黄金神社、久和司神社、飛騨匠神社がある。
目次 |
祭神
飛騨国地域の戦没者6425柱(『百年史』『全国護国神社一覧』「参拝の栞」)
- 西南戦争:7柱
- 日清戦争:44柱
- 日露戦争:581柱
- 満州事変:20柱
- 第二次大戦:5504柱
- 特令開拓義勇軍:353柱
- その他:16柱
1919年(大正8年)の『大野郡祭神記』には「天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大御神、靖国神社御分霊」とある。
歴史
1878年(明治11年)9月、神道飛騨中教院祖霊殿で西南戦争戦没者の招魂祭を営んだのが起源(「参拝の栞」)。 1879年(明治12年)4月21日に祖霊殿に奉斎か(『百年史』)。 1897年(明治30年)日清戦争戦没者を合祀(「参拝の栞」)。 1907年(明治40年)日露戦争戦没者を合祀(「参拝の栞」)。 1909年(明治42年)6月16日、飛騨国招魂社を創建。飛騨招魂社とも。私祭招魂社となる。 1911年(明治44年)5月17日、「靖国神社の御分霊を奉祀す」という(大野郡祭神記)。 1932年(昭和7年)の「招魂社調」にも「私祭飛騨招魂社」とある。1939年(昭和14年)4月1日、飛騨護国神社と改称。1939年(昭和14年)11月4日、本殿を造営(「参拝の栞」)。1946年(昭和21年)10月30日、飛騨神社と改称したが、1955年(昭和30年)9月30日、飛騨護国神社と復した(「参拝の栞」)。 1954年(昭和29年)から全国護国神社会に参加している。
組織
歴代
- 上杉斎次郎()<1911->:『大野郡祭神記』に1911年(明治44年)3月に受持神官設置とあるのに該当か。
- 田島壮次郎()<1915->:1915年(大正4年)3月12日、飛騨招魂社受持神官。著書『大野郡祭神記』[1]
- 森本栄樹()<1939->:1939年(昭和14年)飛騨護国神社社司となる。
- 森本彌一()<>:
- 伊藤敏雄()<1963->:岐阜県出身。1912年(大正1年)生。1930年(昭和5年)平野神社雇。1934年(昭和9年)岐阜県大野郡の槻本神社など13社の社掌。1939年(昭和14年)飛騨護国神社雇。1940年(昭和15年)飛騨護国神社社掌。1963年(昭和38年)飛騨護国神社宮司。1985年(昭和60年)死去。
- 田中宏()<2012->: