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飛騨護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年7月8日 (土)

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飛騨護国神社(ひだ・ごこくじんじゃ)は、岐阜県高山市堀端町の高山城跡にある招魂社内務大臣指定護国神社に指定されていないが、戦後、指定相当として扱われている。年代による変遷があるが飛騨国地域は富山連隊区の管轄下となっていた時期が長いことが背景にあるとみられる。県内には指定護国神社として岐阜護国神社濃飛護国神社がある。 飛騨大神宮、祖霊殿、黄金神社久和司神社飛騨匠神社がある。

目次

祭神

飛騨国地域の戦没者6425柱(『百年史』『全国護国神社一覧』「参拝の栞」)

  • 西南戦争:7柱
  • 日清戦争:44柱
  • 日露戦争:581柱
  • 満州事変:20柱
  • 第二次大戦:5504柱
  • 特令開拓義勇軍:353柱
  • その他:16柱

(内訳は「参拝の栞」による) 1919年(大正8年)の『大野郡祭神記』には「天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、天照大御神、靖国神社御分霊」とある。


歴史

  • 1878年(明治11年)9月、神道飛騨中教院(高山神道中教院)祖霊殿で西南戦争戦没者の招魂祭を営んだのが起源(「参拝の栞」)。
  • 1879年(明治12年)4月21日、中教院大神宮(飛騨大神宮)が鎮座。この時、戦没者の霊も祖霊殿に奉斎されたようだ(『百年史』)。
  • 1897年(明治30年)日清戦争戦没者を合祀(「参拝の栞」)。
  • 1907年(明治40年)日露戦争戦没者を合祀(「参拝の栞」)。
  • 1909年(明治42年)6月16日、飛騨国招魂社を創建。中教院旧社殿を社殿とした。飛騨招魂社とも。内務大臣の認可。私祭招魂社となる。(「飛騨護国神社 参拝の栞」・『靖国神社百年史』)
  • 1911年(明治44年)5月17日、「靖国神社の御分霊を奉祀す」という(大野郡祭神記)。
  • 1932年(昭和7年)の「招魂社調」にも「私祭飛騨招魂社」とある。
  • 1932年(昭和7年)5月6-10日:軍人勅諭下賜50周年記念臨時大祭(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1939年(昭和14年)4月1日:「飛騨護国神社」と改称。内務大臣指定の護国神社ではない。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1939年(昭和14年)11月4日、本殿を造営(「参拝の栞」)。
  • 1946年(昭和21年)10月30日:「飛騨神社」と改称。(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1952年(昭和27年)5月6日:式年臨時大祭。「みたま大祭」。5日間行う。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1954年(昭和29年)から全国護国神社会に参加している。
  • 1955年(昭和30年)9月30日:「飛騨護国神社」と復称。(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1960年(昭和35年)11月5日:「合祀概了奉告臨時大祭」。幣帛料奉納。(『全国護国神社会二十五年史』)
  • 1965年(昭和40年)10月23日:幣帛料奉納。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1965年(昭和40年)11月5日:「終戦20周年記念大祭」(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1967年(昭和42年):飛騨護国神社奉賛会設立。
  • 1972年(昭和47年)5月5日:式年大祭(現在のところ最後)。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1975年(昭和50年)11月4日:「終戦30周年臨時大祭」。幣帛料奉納。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1985年(昭和60年)11月4日:「終戦四十周年臨時大祭」。幣帛料奉納。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1991年(平成3年)10月28日:天皇皇后岐阜県行幸。幣帛料奉納。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1993年(平成5年)、忠孝苑合祭殿を造営し、飛騨大神宮、祖霊殿、飛騨・黄金神社の社殿を合わせて収めた。
  • 1995年(平成7年)8月14日:幣帛料奉納。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)
  • 1995年(平成7年)10月26-29日:「終戦五十年臨時大祭」。四日間行う。(「飛騨護国神社 参拝の栞」)

組織

歴代

  • 上杉斎次郎()<1911->:飛騨古川の五社神社社司。『大野郡祭神記』に1911年(明治44年)3月に受持神官設置とあるのに該当か。
  • 田島壮次郎()<1915->:1915年(大正4年)3月12日、飛騨招魂社受持神官。著書『大野郡祭神記』[1]
  • 森本栄樹(1887-1965)<1939->:飛騨高山出身。1887年(明治20年)生。1939年(昭和14年)飛騨護国神社社司となる。飛騨総社飛騨東照宮高山・日枝神社の社司宮司を歴任。1965年(昭和40年)6月20日死去。森本彌一?
  • 垣添吉郷()<>:
  • 伊藤敏雄()<1963->:岐阜県出身。1912年(大正1年)生。1930年(昭和5年)平野神社雇。1934年(昭和9年)岐阜県大野郡の槻本神社など13社の社掌。1939年(昭和14年)飛騨護国神社雇。1940年(昭和15年)飛騨護国神社社掌。1963年(昭和38年)飛騨護国神社宮司。1985年(昭和60年)死去。
  • 田中宏()<2012->:

境内

  • 飛騨護国神社:
  • 飛騨大神宮:忠孝苑合祭殿。神宮教の教会が起源。
  • 祖霊殿社:忠孝苑合祭殿。祭神は大国主大神と「明治以降の地域功労者神霊」。中教院の祖霊殿として奉斎され、飛騨護国神社や飛騨匠神社の創建の母体となる。
  • 黄金神社:忠孝苑合祭殿。
  • 飛騨匠神社
  • 久和司神社

画像

資料

  • 1919『大野郡祭神記』「飛騨招魂社」[2]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%A3%9B%E9%A8%A8%E8%AD%B7%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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