出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月5日 (日)
飯豊青皇女(いいとよのあおのひめ)は、清寧天皇の崩御後に一時政務を見たとされる皇族。天皇の和風諡号に似た忍海飯豊青尊を自ら称したといい、後世、飯豊天皇(いいとよてんのう)とも呼ばれる。飯豊王、青海皇女、忍海部皇女とも。
履中天皇皇女という説と、市辺押磐皇子の王女という説があるが、現在の皇室では後者を用いている。現在の日本政府・皇室の見解では正式な天皇ではないと思われるが、陵墓は天皇陵として位置づけてられている。「飯豊天皇」の表記は『扶桑略記』(平安時代後期)が初出。
奉斎
旧跡一覧
- 忍海角刺宮:奈良県葛城市忍海の角刺神社が伝承地。
- 飯豊山:山形県・福島県・新潟県にまたがる霊山。『陸奥国風土記』逸文に山の名の由来として諸説あげる中の一つに「飯豊青尊が物部臣を派遣して幣帛を奉った。よって山の名とする」とある。