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高台寺円徳院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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- | [[臨済宗建仁寺派]][[高台寺]]の山内寺院。[[豊臣秀吉]]正室の北政所ねねの在所で、没地ともいう。備中足守藩木下家の菩提寺。 | + | '''高台寺円徳院'''は京都府京都市東山区下河原町にある[[豊臣氏]]ゆかりの[[臨済宗]]寺院。[[臨済宗建仁寺派]][[高台寺]]の山内寺院。[[豊臣秀吉]]正室の北政所ねねの在所で、没地ともいう。備中足守藩木下家の菩提寺。 |
- | 慶長10年(1605)に北政所が伏見城化粧御殿を移して居館とする。翌年、北政所が高台寺を創建。寛永元年(1624)北政所が死去すると、寛永9年(1632) | + | 慶長10年(1605)に北政所が伏見城化粧御殿を移して居館とする。翌年、北政所が高台寺を創建。寛永元年(1624)北政所が死去すると、寛永9年(1632)に甥の木下利房がねねの居館を寺院となし、自身の号から円徳院と称した。庭園が有名。歌仙といわれた木下勝俊をまつる[[東山・歌仙堂]]がある。 |
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2019年6月17日 (月) 時点における版
高台寺円徳院は京都府京都市東山区下河原町にある豊臣氏ゆかりの臨済宗寺院。臨済宗建仁寺派高台寺の山内寺院。豊臣秀吉正室の北政所ねねの在所で、没地ともいう。備中足守藩木下家の菩提寺。 慶長10年(1605)に北政所が伏見城化粧御殿を移して居館とする。翌年、北政所が高台寺を創建。寛永元年(1624)北政所が死去すると、寛永9年(1632)に甥の木下利房がねねの居館を寺院となし、自身の号から円徳院と称した。庭園が有名。歌仙といわれた木下勝俊をまつる東山・歌仙堂がある。