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高山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
高山寺
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'''高山寺'''(こうざんじ)は、京都府京都市右京区栂尾にある、[[明恵]]ゆかりの[[真言宗]]・[[南都仏教]]の寺院。[[華厳宗]]中興の明恵の墓がある。単立。'''日出先照高山之寺'''と称す。通称は'''栂尾高山寺'''。山号は栂尾山。鎮守は春日神社。[[神護寺関連旧跡]]。(参考:同名寺院[[高山寺_(同名)]]) == 歴史 == ===古代=== [[明恵]]中興以前の歴史は不詳。[[神護寺]]の別所として始まったとみられる。平安時代初期の『尊意贈僧正伝』によると、[[尊意]]が「度賀尾寺」に入り修行したというがその後の歴史ははっきりしない。 神護寺[[文覚]]が復興したともいう。 ===中世=== 建永元年(1206)11月、明恵は[[後鳥羽上皇]]の院宣を得て華厳宗の拠点として復興。 承久元年(1219)、金堂に本尊が祀られた。嘉禄元年から説戒会を始め、人々が集まった。 [[仁和寺]]の覚暹が石水院を建立。石水院を拝殿として鎮守の春日・白光・善妙・住吉神を祀った。 寛喜2年、境内が定められた。 ===近世=== 天文16年(1547)閏7月、細川晴元の兵に焼かれる。 天正13年、[[豊臣秀吉]]から朱印地58石寄進。江戸時代には85石。 江戸時代、近世の戒律復興運動の先駆者となる明忍らが高山寺で自誓受戒。 寛永11年(1634)、仁和寺金堂を移築して高山寺金堂としたのが現在の伽藍。 仁和寺末となったが、戦後、独立して単立寺院となる。 別院として善妙寺があった(現在は跡地に浄土宗為因寺がある)。 (国史大辞典、日本歴史地名大系) [[category:京都府]]
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