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高山寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2022年5月13日 (金)
高山寺(こうざんじ)は、京都府京都市右京区栂尾にある、明恵ゆかりの真言宗・南都仏教の寺院。華厳宗中興の明恵の墓がある。単立。日出先照高山之寺と称す。通称は栂尾高山寺。山号は栂尾山。鎮守は春日神社。近衛家が氏寺の一つとした。神護寺関連旧跡。(参考:同名寺院高山寺_(同名))
目次 |
歴史
古代
774年光仁天皇の勅願で創建。神願寺都賀尾坊と称したという。 明恵中興以前の歴史は不詳。神護寺の別所として始まったとみられる。平安時代初期の『尊意贈僧正伝』によると、尊意が「度賀尾寺」に入り修行したというがその後の歴史ははっきりしない。 神護寺文覚が復興したともいう。
中世
- 1203年:明恵、春日明神が夢告してインド渡海を諫めたという。住吉明神も同時か。
- 1204年9月:明恵、槙尾に住す。
- 1205年12月:明恵、紀伊国在田に春日住吉神影を祀る祠を建てたという。
- 1206年(建永1年)11月、明恵は後鳥羽上皇の院宣を得て華厳宗の拠点として復興。勅額賜る。この頃、九条兼実邸で修法
- 1207年:明恵、東大寺尊勝院学頭となる。
- 1215年夏:練若台を営む。
- 1216年秋:仁和寺の覚暹が石水院を建立。
- 1218年秋:明恵、本尊釈迦如来を携え、栂尾から賀茂に移る。のち戻る。
- 1219年(承久1年):金堂落慶。
- 1223年:賀茂の房舎を引き払い、栂尾に移築
- 1225年(嘉禄1年):説戒会を始め、人々が集まった。
- 1225年8月16日:鎮守社に白光神・善妙神像を納める。同年、鎮守社に春日神を祀る。
- 1228年7月:石水院、水難に遭い、禅堂院に移す。
- 1229年:阿弥陀堂、西経蔵建立。鎮守社を宝殿の西山の傍らに移す。
- 1229年冬:三加禅を営む
- 1230年(寛喜2年)閏1月:神護寺との境界が太政官牒により定められた。当時のものとみられる「神護寺絵図」と「高山寺絵図」が現存。本堂、阿弥陀堂、羅漢堂、経蔵、三重塔、鐘楼、鎮守社3社、大門が描かれている。
- 1230年:三加禅を禅堂院に移して禅河院と称する
- 1232年1月頃:宣陽門院、三重塔のため野口庄埴生6町を寄進
- 1232年:明恵、置文。死去
- 1232年:戒光尼(中御門宗行の室)、別院として善妙寺を創建(現在は跡地に浄土宗為因寺がある)。
- 1235年:石水院(東経蔵がその名を継承)に春日神・住吉神を祀った。御霊代は画像でその写本と見られる画像2幅が現存。のち興福寺の要請で「栂尾開帳」が行われるようになった。
- 1238年:鎮守社に住吉神を祀る。
- 1250年:霊典、建長目録を編纂
- 1253年:高信、『高山寺縁起』を記す
近世
- 1547年(天文16年)閏7月、細川晴元の兵に焼かれる。
- 1585年(天正13年)、豊臣秀吉から朱印地58石寄進。江戸時代には85石。
- 近世の戒律復興運動の先駆者となる明忍らが高山寺で自誓受戒。
- 1634年(寛永11年)、仁和寺金堂を移築して高山寺金堂としたのが現在の伽藍。
- 1636年頃:秀融・永弁が開山堂を復興。
- 慶安年間:永弁、十無尽院を復興
- 1717年:御廟、開山堂、禅堂院、宝性院など焼失。
- 1723年:開山堂再建。のち御廟再建
- 天保年間:慧友、堂坊を修理。文書整理
- 1831年:慧友、明恵600年遠忌
- 1868年:この頃、「華厳宗本山高山寺」と称する。
- 1872年:真言宗所轄となる。仁和寺末となる。
- 1881年:火災
- 1889年:石水院を三尊院跡の現在地に移築。
- 1931年1月19日:土宜覚了、明恵700年遠忌
- 1966年:単立
- 1968年:高山寺典籍文書綜合調査団設立。
- 1969年:太鼓台道場建設
(国史大辞典、日本歴史地名大系、『図録鳥獣戯画と高山寺』)
伽藍
- 金堂:本尊は釈迦如来。現在の金堂は1634年(寛永11年)に仁和寺真光院から移したもの。1219年(承久1年)造営の旧本堂の本尊は盧舎那仏だった。
- 阿弥陀堂:廃絶
- 羅漢堂:廃絶
- 開山堂:本尊は明恵。鎌倉時代の木像で、等身大とされる。黒衣に袈裟を掛けて念珠を両手で持つ。堂宇は江戸時代の再建。
- 明恵墓:開山廟。廟の中に五輪塔を納める。
- 春日社:金堂の隣にある。
- 東経蔵:現在の石水院。
- 西経蔵:廃絶
- 如法経塔:
- 宝篋印塔
- 宝塔:
- 仏足石:
- 法鼓台文庫:
- 法鼓台道場
- 書院
- 茶園:
- 遺香庵:茶室。
山中に明恵が修行した華宮殿、羅婆房、定心石、縄床樹、遺跡窟があったというが不詳。
子院
- 禅河院:廃絶
- 宝性院:廃絶
- 石水院:子院としては廃絶か。現在の建物は東経蔵を改造。春日・住吉明神を祀っていた時期もある。1889年に現在地に移築。後鳥羽上皇勅額「日出先照高山之寺」、富岡鉄斎筆「石水院」の額を掲げる。西室には善財童子像、主室には観音像、明恵絵像などを祀る。
- 禅堂院:廃絶。明恵がなくなったところ。
- 十無盡院:閼伽井坊。中心的な子院だった。現在の茶園の位置にあったという。義林房喜海(高山寺学頭)が創建。恵月、恵林、了月、林明、了恵、禅証、行英、慶俊、明円が継承。16永弁が中興。22慧友僧護(1775-1853)。廃絶。
- 方便智院:東坊。空達房定真(高山寺寺主)が創建。仁真、仁弁、弁耀、仁耀、然真、弁季、観明、明律、兼真と継承された。廃絶。
- 覚薗院:池坊。義淵房霊典(高山寺知事)が創建。明悟、顕恵、照空、信明、義顕、定明、院禅と継承。廃絶。
- 三尊院:尾崎坊。円道房信慶(高山寺説戒師)が創建。明寂、浄林、練明、信証、法乗と継承。12世秀融が中興。廃絶。
- 善財院:田中坊。法智房性実(高山寺説戒師)が創建。証淵、相明、朗智、想淵、朗明、真祐、竺誉と継承。廃絶。
- 観海院:中坊。仁和寺法助の住房となったこともある。上見、観恵、道明、明観、観禅、明浄、浄栄、良祐と継承。廃絶。
- 報恩院:山本坊。明順が創建。明信、道恵、良明、道禅、英明、理浄と継承。廃絶。
- 西本坊:敬恵、心輪、仁恵、信空、教空、了空と継承。廃絶。
- 北坊:明願、尊寂、円空、明融、尊恵、了察、教真と継承。廃絶。
- 清水坊:十恵、十蜜、証性、証恵、順空、行順、観乗、真耀、〓学と継承。廃絶。
- 妙峰山:乗信、恵信、乗悟と継承。廃絶。
- 山坊:禅性、慈空、良淳、宗祐と継承。廃絶。
- 入江坊:乗蓮房とも。法淳、真誉、光誉、光秀と継承。廃絶。
- 歓喜園寺:廃絶。麓にあった。明恵に帰依した富小路盛兼が建てた庵。
組織
住職
- 尊意
- 文覚
- 明恵
- 慧友僧護?
- 錦小路証成(1811-?)<>:
- 土宜法龍(1854-1923)<>:仁和寺門跡。真言宗各派連合総裁。高野派管長。
- 土宜覚了()<>:1931年(昭和6年)在職
- 小川義章(1891-1969)<>:1969年(昭和44年)2月21日死去。77歳。遺稿集『高山寺義章和尚抄録』。
- 葉上照澄()<>:
- 小川千恵(1929-2015)<1991-2015>:小川義章の娘。1929年(昭和4年)生。1945年(昭和20年)、東京女子高等師範学校附属高等女学校卒。1991年(平成3年)山主。2015年(平成27年)8月10日死去。86歳。千恵子。
- 田村恵心()<>:
執事長
- 田村裕行():
資料
古典籍・史料
- 『高山寺資料叢書』:第23冊まで刊行
- 『高山寺典籍文書綜合調査団研究報告論集』:継続中
- 1980『高山寺典籍文書の研究』
- 1988『高山寺善本図録』