ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

高源寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

(版間での差分)
移動: 案内, 検索
1行: 1行:
-
'''高源寺'''(こうげんじ)は、兵庫県丹波市にある[[臨済宗]]寺院。[[臨済宗妙心寺派]]。遠谿祖雄が創建。[[幻住派]]の拠点で、[[紫衣]]を受けている。東天目[[棲雲寺]]に対して'''西天目'''と呼ばれる。
+
'''高源寺'''(こうげんじ)は、兵庫県丹波市青垣町桧倉(丹波国氷上郡)にある[[臨済宗]]寺院。[[臨済宗妙心寺派]]。遠谿祖雄が創建。[[幻住派]]の拠点で、[[紫衣]]を受けている。東天目[[棲雲寺]]に対して'''西天目'''と呼ばれる。山号は瑞岩山。
 +
*1325年(正中2年):遠谿祖雄が小倉(兵庫県丹波市青垣町桧倉)に創建。
 +
*1503年(文亀3年):足利義尹公帖を受けて一華碩由が入寺。
 +
*1517年(永正14年):後柏原天皇から紫衣勅許。勅願所となる。1518年(永正15年)とも。
 +
*智伝碩精、檜倉に移転。
 +
*天正年間:明智光秀の兵火で焼失。
 +
*享保年間:天岩明啓が現在地に移して復興。
 +
*1799年(寛政11年):弘巌玄貌が柏原藩主の支援を受けて再興した。
-
1517年、勅願所となり、紫衣勅許。遠渓幻住派の本拠地として興隆した
 
== 組織 ==
== 組織 ==

2022年12月13日 (火) 時点における版

高源寺(こうげんじ)は、兵庫県丹波市青垣町桧倉(丹波国氷上郡)にある臨済宗寺院。臨済宗妙心寺派。遠谿祖雄が創建。幻住派の拠点で、紫衣を受けている。東天目棲雲寺に対して西天目と呼ばれる。山号は瑞岩山。

  • 1325年(正中2年):遠谿祖雄が小倉(兵庫県丹波市青垣町桧倉)に創建。
  • 1503年(文亀3年):足利義尹公帖を受けて一華碩由が入寺。
  • 1517年(永正14年):後柏原天皇から紫衣勅許。勅願所となる。1518年(永正15年)とも。
  • 智伝碩精、檜倉に移転。
  • 天正年間:明智光秀の兵火で焼失。
  • 享保年間:天岩明啓が現在地に移して復興。
  • 1799年(寛政11年):弘巌玄貌が柏原藩主の支援を受けて再興した。


組織

住職

  • 1遠渓祖雄(1286-1344):高源寺開山。中峰明本の法嗣。中国天目山で中峰明本に師事して帰国。日本の幻住派の開祖。
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8一華碩由():筥崎宮社家秦氏の出身。玄室碩圭の法嗣。紫衣の綸旨を得た。大内氏の推挙で1503年、足利義稙公帖で博多聖福寺住職。
  • 9
  • 10智伝碩精():礼仲碩耕の法嗣。1517年、紫衣勅許。知伝碩精。
  • 湖心碩鼎()<1519>:一華碩由の法嗣。1519年、住職となり紫衣勅許。1521年、足利義稙公帖で博多聖福寺105世。大内氏の外交政策に協力し、1539年、遣明船の正使として渡明。1545年、南禅寺住職。
  • 嘯岳鼎虎(1528-1599)<1562>:洞春寺開山。湖心碩鼎の法嗣。
  • 嘯岳鼎虎(1528-1599)<1565>:
  • 嘯岳鼎虎(1528-1599)<1570>:
  • 明谷〓聡()<1586>:1586年、正親町天皇綸旨で就任。
  • 衡陽慶甫()<1595>:妙玖寺開山。1595年、後陽成天皇綸旨で就任。1583年9月死去は誤りか。
  • 天岩明啓():
  • 21弘巌玄貌():高源寺中興。
http://shinden.boo.jp/wiki/%E9%AB%98%E6%BA%90%E5%AF%BA」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール