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高雄市忠烈祠
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
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+ | 高雄市の忠烈祠。入祀烈士は799員である(2010年現在。資料B)。戦後、植民地時代の県社[[高雄神社]]の社殿をそのまま流用して創建された。民国63年(1974年)、改築されることとなり、民国65年(1976)2月に中国宮殿式建築の殿宇が造営された。次いで革命先烈史蹟資料館が建設された。のち「戦争と和平紀念館」に改称した。 | ||
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+ | 高雄市市街地の外れの寿山山腹の寿山公園隣に位置する。社殿構成は、地方政府管理の忠烈祠としては大型のもので建坪は3番目の規模である。正殿のほか正門があり、回廊で接続している。広大な参道がある。参道の下には中国風に改造された鳥居が現存している。山腹にあることから展望が良い。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。 | ||
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+ | (資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[http://afrc.mnd.gov.tw/martyr/](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」) | ||
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ファイル:Takao_thuretsushi002.jpg|高雄市忠烈祠 | ファイル:Takao_thuretsushi002.jpg|高雄市忠烈祠 |
2011年6月8日 (水) 時点における版
高雄市の忠烈祠。入祀烈士は799員である(2010年現在。資料B)。戦後、植民地時代の県社高雄神社の社殿をそのまま流用して創建された。民国63年(1974年)、改築されることとなり、民国65年(1976)2月に中国宮殿式建築の殿宇が造営された。次いで革命先烈史蹟資料館が建設された。のち「戦争と和平紀念館」に改称した。
高雄市市街地の外れの寿山山腹の寿山公園隣に位置する。社殿構成は、地方政府管理の忠烈祠としては大型のもので建坪は3番目の規模である。正殿のほか正門があり、回廊で接続している。広大な参道がある。参道の下には中国風に改造された鳥居が現存している。山腹にあることから展望が良い。春祭は3月29日の革命先烈紀念日に行われ、秋祭は9月3日の軍人節(日中戦争日本降伏日)に行われている(資料C)。
(資料A:ウェブサイト国防部後備司令部『祠祀葬〓』[1](2011/05/02閲覧)、資料B:内政部資料2011年1月「忠烈祠祀概況」、資料C:蔡錦堂2008「褒揚及忠烈祠祀栄典制度之研究」)