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鳥取東照宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年4月21日 (火)
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1649年(慶安2年)、池田光仲が幕府から曽祖父徳川家康を祀る許可を得て翌年4月、大日谷に社殿竣工。9月12日に御神体が入国。16日に遷座祭があり、翌日祭祀が行われた。額には「東照権現宮」と記された。境内には大師堂、護摩堂、弁天社、毘沙門堂などがあった。[[因幡・長田神社]]の神主が兼務し、「総幣頭」を称した。別当寺として[[天台宗]]淳光院(のち[[因幡・大雲院]])を創建した。1652年(承応1年)、古市村の河原に御旅所が設けられ、初めて神輿御幸が行われた。 | 1649年(慶安2年)、池田光仲が幕府から曽祖父徳川家康を祀る許可を得て翌年4月、大日谷に社殿竣工。9月12日に御神体が入国。16日に遷座祭があり、翌日祭祀が行われた。額には「東照権現宮」と記された。境内には大師堂、護摩堂、弁天社、毘沙門堂などがあった。[[因幡・長田神社]]の神主が兼務し、「総幣頭」を称した。別当寺として[[天台宗]]淳光院(のち[[因幡・大雲院]])を創建した。1652年(承応1年)、古市村の河原に御旅所が設けられ、初めて神輿御幸が行われた。 | ||
- | 神仏分離で1869年(明治2年) | + | 神仏分離で1869年(明治2年)9月、大雲院の管理を離れた。1874年(明治7年)3月、東京池田家邸の神殿で池田忠継・池田忠雄・池田光仲の分霊式を執行。分霊を池田輝知が鳥取に遷し倉田八幡の仮殿に奉遷。4月、東照宮に合祀。樗谿神社と改称。同年3月、県社に列格した(神道史大辞典)。1878年(明治11年)9月、池田慶徳を合祀。2011年(平成23年)鳥取東照宮と改称した。(日本歴史地名大系ほか) |
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2020年4月21日 (火) 時点における最新版
鳥取東照宮(とっとり・とうしょうぐう)は鳥取県鳥取市上町にある東照宮。祭神は徳川家康、池田忠継、池田忠雄、池田光仲、池田慶徳。県社。領主奉斎神社。旧称は樗谿神社(おうちだに・じんじゃ)。通称は因幡東照宮。
歴史
1649年(慶安2年)、池田光仲が幕府から曽祖父徳川家康を祀る許可を得て翌年4月、大日谷に社殿竣工。9月12日に御神体が入国。16日に遷座祭があり、翌日祭祀が行われた。額には「東照権現宮」と記された。境内には大師堂、護摩堂、弁天社、毘沙門堂などがあった。因幡・長田神社の神主が兼務し、「総幣頭」を称した。別当寺として天台宗淳光院(のち因幡・大雲院)を創建した。1652年(承応1年)、古市村の河原に御旅所が設けられ、初めて神輿御幸が行われた。
神仏分離で1869年(明治2年)9月、大雲院の管理を離れた。1874年(明治7年)3月、東京池田家邸の神殿で池田忠継・池田忠雄・池田光仲の分霊式を執行。分霊を池田輝知が鳥取に遷し倉田八幡の仮殿に奉遷。4月、東照宮に合祀。樗谿神社と改称。同年3月、県社に列格した(神道史大辞典)。1878年(明治11年)9月、池田慶徳を合祀。2011年(平成23年)鳥取東照宮と改称した。(日本歴史地名大系ほか)