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ガンダンテクツェンリン寺院
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年9月27日 (土)
ガンダンテクツェンリン寺院はモンゴル・ウランバートルにある仏教寺院。チベット仏教ゲルク派。ガンダン寺。
ジェプツンタンパ
- 1世:ロブサン・ダンビ・ジャンツァン(ザナバザル):Lobsang Danbi Jalchan:羅桑丹貝堅賛:1635–1723:外モンゴル最初の仏教寺院エルデニズー寺院を創建したアバダイ・ハーンの曽孫。チンギスハーンの血統とされる。1635年生。ウブル・ハンガイ県のズイルで、トゥシェート・ハンのゴンボドンジの子に生まれる。4歳で受戒し、ザナバザルの名を与えられる。翌年、出家してロブサン・ワンポ・ジャルツァンと名乗る。13歳でバランフレー寺院を創建。15歳でチベットに行き、パンチェンラマ4世から受戒し、ダライラマ5世からターラナータの転生者と認められ、「ジェプツンダンバ・ホトクト」号を授けられた。ターラナータのさらに前は釈迦の直弟子500人の一人のロドイゲンデンナムダグだったと伝え、またあるときはツォンカパの弟子のジャミヤンツォルジだったと伝える。1651年帰国。1654年、ヘンティー山にレヴゲジェ・ガンダン・シャドゥブリン寺院を創建。多くの仏像仏画を残した。特に執金剛神、五禅定仏、ターラー、大型の阿弥陀如来が知られる。モンゴル語を記述するためのソヨンボ文字を制作したという。1688年、オイラトのガルダンに攻められてロシアに頼るか、清朝に頼るか協議した結果、清朝を頼った。1691年、北京に向かい、康熙帝に謁見。1722年、康熙帝の崩御で再び北京に赴いたが1723年1月14日、北京近郊シャルスム寺で死去。雍正帝から「弘法大師」号が贈られた。『モンゴルの仏教美術』[1]、「ザナバザル研究国際会議」[2]、『北・中央アジアの歴史と文化』
- 2世:ロブサン・ダンビ・トゥンミ:Lobsang Danbi Tungmi:羅桑丹彬多密:1724–1758:1758年2/5死去
- 3世:イシ・ダンバニャム:Ishidambanima:伊什丹巴尼瑪:1758–1773:1773年11/5死去
- 4世:ロブサン・トゥブダンワンチュク:Lobsang Tubdan Wangchugh:羅桑図巴坦旺舒克:1775–1813:1813年1/7死去
- 5世:ロブサン・ツルティムジグメ:Lobsang Chultem Jigmid:羅桑楚都木済克默特:1815–1841:1841年11/18死去
- 6世:ロサン・テンペーギェンツェン:(不詳):羅桑図旦却吉堅賛:1843–1848:1848年11/20死去
- 7世:ガワン・チューキワンチュク・ティンレーギャムツォ:Agwang Choiji Wangchug:阿旺曲吉旺楚欽列嘉錯:1850?–1868?:1868/12/26死去。
- 8世:ガワン・チョイジニャム・ダンジンワンチュク:Agwang Choiji Nima Danjin Wangchug:阿旺垂済尼瑪丹彬旺舒克:1869–1924:1911年、モンゴル独立に際して国家元首に擁立され、「ボグド・ハーン」号を称した。1924年5月20日死去。共産主義政権は「以後、転生しない」と宣言した。
- 9世:ジャンペルナムギャル・チューキギェンツェン:Jambal Namdol Choyji Jantsan:蔣巴南卓確吉堅賛:1933–2012:2012年3月1日、ウランバートルで死去。
- 10世:(不明):ー:ー:2015-:2023年3月8日、ダライ・ラマ14世が公式に紹介した。