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マニ教
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年10月24日 (金)
マニ教
ゾロアスター教から派生したとされる。 摩尼教、末尼教、二宗教、明教
歴史
- 216年4月14日:マニ、バビロニアで誕生
- 227年:マニに初めての啓示
- 239年:2回目の啓示。新教団設立を志す。北西インドで布教。
- 242年:ササン朝ペルシア2代王のシャープール1世が戴冠式で、マニ教の公認を宣言し布教を許可。
- 276年1月19日:4代王のバーラーム1世、ゾロアスター教の神官の扇動を受け、マニを召喚し投獄。まもなくグンデーシャーブール(イラン南西部)で獄死殉教。神官とはキルディールという者だと推測され、その事績を伝える碑文にはユダヤ教、ヒンドゥー教、仏教、キリスト教、マニ教を壊滅させたと記されている。
- 297年:ローマ皇帝ディオクレティアヌス、マニ教禁止令
- 4世紀:エジプト、北アフリカ、イベリア半島に広がる
- 372年:この頃、アウグスティヌス(354〜430)、マニ教に入信。383年には懐疑的になり、やがてキリスト教に転向
- 388年:アウグスティヌス、マニ教批判の書物『カトリック教会の習俗とマニ教徒の習俗』を著す。
- 694年:中国に伝播
- 733年:唐朝の玄宗は漢民族の信仰を禁じた
- 8世紀中頃:アラブのイブン・ムカッファア(720頃~756頃。アラブ散文文学の創始者)、マニ教からイスラム教へ改宗
- 768年:長安に大雲光明寺を創建
- 795年:ウイグル可汗国7代の懐信可汗が即位。マニ教を国教とした。「カラ・バルガスン碑」文にもマニ教伝道の経緯が記される。
- 9世紀:洛陽や太原にもマニ教寺院が建てられた
- 843年:「会昌の廃仏」に先立ち禁教となる。多数の殉教者を出したという。