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下関東光寺官修墳墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年8月18日 (日)
下関東光寺官修墳墓は山口県下関市豊前田町の曹洞宗東光寺にあった官修墳墓。被葬者は1863年(文久3年)の下関砲撃事件で撃沈されて戦死した壬戌丸の水夫5人。東光寺は奇兵隊本陣。東行庵の奇兵隊顕彰墓地に改葬されて現存する。
目次 |
被葬者・墓碑
5人とも靖国神社と桜山招魂社に合祀されており桜山招魂社に神霊碑がある。墓碑はいずれも一般の形状だが、5基一括で石垣で囲われている。左右に花立がある。虎蔵・山本弥八・斎藤亀蔵の3基は他2基より小さい。墓碑の正面に戒名を記す。向かって右側面に没日、反対に俗名を記し、裏面は無銘。虎蔵・山本弥八・斎藤亀蔵の3人は防府市護国神社官祭祭神でもある。壬戊丸関係では、5人の他に、西林利吉正行(壬戊丸水夫。6月5日死去)、藤本利吉(壬戊丸水先案内。6月1日死去)、上田仁兵衛(壬戊丸水夫。6月5日死去)も戦死している。また下関砲撃事件では藩士の佐々木又四郎、山内賢之丞も自刃・戦死している。
- 粂八(?-1863):高知藩(靖国神社忠魂史)というが安房国安房郡立山村の出身という。桜山招魂社祭神259番。合祀。鉄山永久信士。
- 藤吉(?-1863):高知藩(靖国神社忠魂史)というが相模国南合村の出身という。桜山招魂社祭神258番。合祀。藤泉和流信士。
- 虎蔵(?-1863):山口藩。桜山招魂社祭神192番。合祀。堀寅蔵。防府市護国神社官祭祭神。萩油屋町の商人。義〓〓寅〓信士。
- 山本弥八(?-1863):山口藩。桜山招魂社祭神105番。合祀。萩の出身。防府市護国神社官祭祭神。弥屋瑞光信士。
- 斎藤亀蔵(?-1863):山口藩。桜山招魂社祭神148番。合祀。萩東田町の商人。防府市護国神社官祭祭神。浄雲底亀信士。
歴史
- 1863年(文久3年)6月1日:下関砲撃事件。アメリカ軍艦ワイオミングの砲弾が山口藩軍艦の壬戌丸の蒸気機関に命中。近くにいた水夫5人は熱湯を浴びて即死した。
- 1863年(文久3年):山口藩が創設[1]。
- 1875年(明治8年)4月24日:官祭招魂社・官修墳墓制度、始まる(ただし「官祭招魂社」「官修墳墓」の呼称はまだない)。
- 不詳:官修墳墓となる。
- 1901年(明治34年)6月14日:官祭招魂社制度・官修墳墓制度が本格的に制定。
- 1959年(昭和34年)11月27日:<桜山招魂社で吉田松陰100年祭があり、5人を合祀。神霊碑も建てられた。>
- 1972年(昭和47年)2月29日:発掘して東行庵に改葬した。発掘時に遺骨は残っていたが山本弥八以外は浅いところに納められていた。斎藤亀蔵墓にはキセルやボタンも埋葬されていた。
(一坂太郎1996『奇兵隊および諸隊士顕彰墓地』東行庵刊ほか)