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京都塩竈・金光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年10月28日 (火)

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金光寺

金光寺(こんこうじ)は、京都府京都市下京区本塩竈町にある時宗寺院。本尊は阿弥陀如来。かつての時宗市屋派の拠点寺院。市姫神社を鎮守とする。空也が創建したとされ、一遍も訪れている。最勝王院。通称は市屋道場一夜道場市姫金光寺。山号は市中山。しばしば混同されるが七条道場金光寺とは別寺院。近くに下京・福田寺がある。この付近は陸奥国塩竈の情景を模した河原院の跡地とされる。河原院も参照。 (参考:同名寺院金光寺

目次

歴史

金光寺・市比売神社の旧地(現在の西本願寺)。元は現在の西本願寺の場所にあったが、同寺造営のために土地を没収され現在地に移転した
金光寺と市比売神社(国土地理院空中写真より)
  • 承平年間:空也が平安京東市に祀られている市姫神社の神勅を得て創建。元は薬師如来を本尊とした。
  • 1286年(弘安9年):一遍が京都に訪れた際、空也を慕って逗留し、念仏教化。老若男女が群参し、ついに住職の俊暁は一遍に帰依して作阿と名乗った。年代は異なるが、『一遍聖絵』に1284年(弘安7年)に一遍が金光寺を訪れ、踊躍念仏の踊り場を開いたことが描かれており、訪問は史実とみられる。
  • 1591年(天正19年):本願寺の移転で土地を明け渡して現在地に移転した。近世の朱印地28石。
  • 1788年(天明8年):焼失
  • 1864年(元治1年):焼失。

(『日本歴史地名大系』)

子院

  • 玉蔵庵
  • 玉林庵
  • 最勝庵
  • 報恩庵
  • 正覚院

組織

歴代住職(古代)

伝説的なもので、史料的裏付けは乏しい。

世数 名前 生没年 在職年 略歴
1 空也 903-972 天台宗。承平年間(931~)、平安京東市に祀られている市姫神社の神勅を得て創建。
2 堯禅 天台宗。
3 堯円 天台宗。
4 円盛 天台宗。
5 祐善 天台宗。
6 聞霊 天台宗。
7 空尊 天台宗。
8 空算 天台宗。
9 泰雄 天台宗。
10 信快 天台宗。
11 霊玄 天台宗。
12 堯音 天台宗。
13 観覚 天台宗。
14 覚雲 天台宗。
15 良祐 天台宗。
16 真超 天台宗。
17 澄源 天台宗。
18 円照 天台宗。
19 照寂 天台宗。
20 寂元 天台宗。
21 霊元 天台宗。
証恵 天台宗。胤恵の前。31世という。

歴代住職(時宗)

一遍に師事した胤恵に始まり、歴代住職は「作阿弥陀仏」「作阿」と称した。人材不足により近世には西山派の僧侶が住職を務めることが多かった。

世数 名前 生没年 在職年 略歴
一遍 1234-1289 時宗。
1 作阿胤恵 ?-1294 1282-1294 時宗開基。橘氏。京都八条の出身。園城寺覚雄に師事。初めは唐橋金剛院(不詳)に住す。1282年(弘安5年)一遍に教化を受けて名号・袈裟・念珠・鉦鼓・未開蓮萃を賜る。宇多天皇から「作阿上人」(作阿弥陀仏)の勅号を得て時宗の一派を立てる。1294年(永仁2年)4月3日死去。唐橋法印と号す。俊暁か。
2 作阿鏡恵 ?-1340 時宗。1340年(暦応3年)11月12日死去。21世とも。
3 作阿円空 ?-1390 時宗。1390年(明徳1年)8月4日死去。
4 作阿円乗 ?-1404 時宗。1404年(応永11年)1月24日死去。
5 作阿道応 ?-1421 時宗。1421年(応永28年)1月3日死去。
6 作阿道永 ?-1431 時宗。1431年(永享3年)3月14日死去。
7 作阿祐感 ?-1451 時宗。1451年(宝徳3年)10月7日死去。
8 作阿願海 ?-1464 時宗。1464年(寛正5年)9月5日死去。
9 作阿雲海 時宗。延徳9年2月16日死去。
10 作阿俊快 ?-1494 時宗。1494年(明応3年)12月29日死去。
11 作阿浄覚 ?-1508 時宗。1508年(永正5年)5月23日死去。
12 作阿円心 ?-1512 時宗。1512年(永正9年)9月20日死去。
13 作阿泰堂 ?-1519 時宗。1519年(永正16年)4月10日死去。
14 作阿正誉 ?-1522 時宗。1522年(大永2年)12月12日死去。
15 作阿円龍 ?-1532 時宗。1532年(天文1年)9月28日死去。
16 作阿仁空 ?-1559 西山派。永禄年間(1558~)[1]。以後、西山派が続く。紀伊国出身。1559年(永禄2年)3月16日死去。
17 作阿光覚 ?-1593 西山派。1593年(文禄2年)8月28日死去。
18 作阿見室 ?-1613 西山派。1613年(慶長18年)6月15日死去。
19 作阿林室 ?-1647 ?-1647 鎮西派。京都西九条出身。1647年(正保4年)7月4日死去。
20 作阿正林 ?-1675 1647-1675 鎮西派。京都東六条出身。八尾氏。7歳で剃髪。本堂や台所を建立。1647年(正保4年)8月21日、金光寺住職[2][3]。林澄とも。1675年(延宝3年)8月18日死去。44歳。
21 作阿空元 1675-? 西山派。八尾氏。正林の甥。12歳で剃髪。1674年(延宝2年)、西山光明寺で学ぶ。光明寺円空から嗣法し、禅林寺泰山に学ぶ。1675年(延宝3年)9月7日、金光寺住職[4][5]。1678年(延宝6年)1月24日参内して綸旨を賜る。
22 作阿玄哲 1702-? 西山派。伊勢国富田出身。富田七兵衛の子。禅林寺に学ぶ。空元と同門で師弟の契約を結び、1702年(元禄15年)6月29日、金光寺住職[6][7]。檜山隼人正の猶子となる。
23 敬空玄寮 ?-1735 西山派。禅林寺で学ぶ。1735年(享保20年)7月隠退。中興23世、通算で52世という。隠居して蓮寿院と号す。
24 俊旭 1735-? 西山派。名古屋出身。於木宗順の子。禅林寺で学ぶ。同門の玄寮の隠居につき師弟の契約を結び、1735年(享保20年)9月、金光寺住職[8][9]。本庄元直の猶子となる。
25 靍潭 1737-? 西山派。名古屋出身。川村半右衛門の子。俊旭の弟子。西山光明寺で学ぶ。本庄元近の猶子。1737年(元文2年)12月7日、金光寺住職[10][11]
26 旭燦 西山派。
27 珂燦 ?-1754 西山派。1754年(宝暦4年)死去[12]。阿燦とも。
28 英空賢晃 1754-1768 西山派。丹波篠山の出身。大内六兵衛の子。檜山薩摩守の猶子。旭燦の弟子。1754年(宝暦4年)6月13日、金光寺住職[13][14]。1768年(明和5年)西山派西念寺住職となる。
29 善空 1768-? 西山派。1768年(明和5年)9月、金光寺住職[15]。蓮寿院と号す。鏡空の死後再任か。
30 鏡空 ?-1779 1776-1779 西山派。1776年(安永5年)8月6日、金光寺住職[16]。1779年(安永8年)9月18日死去[17]
浄信 ?-1862 1862年(文久2年)「身持不埒」で追放。
真徹 1862-? 遊行派。1862年(文久2年)、遊行派の越後下田連光寺から入寺。
武田徹定 遊行派。1889年(明治22年)在職。
武田真海 遊行派。遊行60世の武田義徹の孫弟子
武田賢善 1905-? 1936-? 遊行派。群馬県出身。1905年(明治38年)生。初名は吉川賢善。1916年(大正5年)、甲府一蓮寺河野頼善(のちの遊行上人65世尊光)に師事。1931年(昭和6年)大正大学仏教学科卒。1936年(昭和11年)、武田真海の跡を次いで金光寺に入寺。鍼を得意とす。著書『一遍上人法語集』。兄に吉川清(藤沢真徳寺住職)。74世を称す。
新堀俊尚 時宗教学部長。

資料

古典籍

  • 『金光寺縁起』:
  • 『寺社方御仕置例書』[18]
  • 『遊行上人縁起絵』[19]
  • 新堀俊尚1989「当寺(市姫金光寺)三祖師別伝并当寺歴代住持霊簿」[20]:作阿空元による再興を、作阿玄哲が記したもの。作阿空元まで記す。
  • 高田陽介1996「狐塚火葬所の三昧聖」『中世後期畿内における葬送墓制の研究』[21]
  • 『史料京都の歴史』「西寺内の建設と展開」[22]
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