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京都専修寺官修墳墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年4月5日 (土)
京都専修寺官修墳墓は京都府京都市右京区鳴滝の浄土真宗専修寺京都別院にある官修墳墓。被葬者は飯田忠彦。元は子院龍源寺にあった。京都別院は河原町二条(京都市中京区清水町)にあったが戦後、現在地に移転し、墓所も共に移転したようだ。 山口藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。
飯田忠彦(1799-1861)は勤王派の歴史家。周防国徳山出身。徳山藩士生田十蔵(里見義十郎兼門とも)の子。河内八尾の飯田謙介の養子となったが離縁。有栖川宮家や中宮寺宮家に仕え、安政の大獄で投獄されるが赦免。深草・浄蓮華院に隠居して得度。しかし桜田門外の変で、嫌疑がかけられ、1861年5月14日、伏見奉行に捕縛された。5月27日自害。63歳。『諸系図』、『門跡伝』、『黒御所伝』、『野史』などを記した。志信院黙叟理現居士。明治24年12月17日、従四位贈位。霊山官修墳墓にも墓碑か(未確認)。靖国神社合祀。徳山動物園内に記念碑がある。
画像
資料
- 『京都名家墳墓録』[1]