|
ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
仰華寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年10月22日 (水)
仰華寺は、中国青海省海南チベット族自治州共和県恰卜恰鎮にあったチベット仏教寺院。ゲルク派。ダライラマの「発祥の地」。チベット仏教史、モンゴル仏教史の転機となった「チャブチャール会見」(青海会見)の地。チャブチャール寺。察卜斉雅勒廟。察卜斉勒廟。大乗法輪寺。廃絶。この場所は「青海モンゴル」に含まれるらしい。
アルタン・ハーン(1507-1582)は皇帝ダヤン・ハーンの孫であり、トゥメド部の首長となり、皇帝に次ぐ「ハーン位」を与えられた。1577年、デプン寺のソェナム・ギャツォを招いてこの地で会見し、ダライラマの称号を贈り、前世2世を追尊してソェナム・ギャツォをダライラマ3世とした。ダライラマはアルタン・ハーンに「法王大梵天」の称号を贈り、仏教的な立場から政治的な権威を保障した。ダライラマ3世は代理としてトンコルホトクト2世をアルタンハーンのもとに送った。以後、モンゴル勢力とチベット勢力が権威と権力をお互いに承認する関係が生まれ、モンゴルにチベット仏教ゲルク派が浸透するきっかけとなり、元朝初期以来のモンゴルでの第二の仏教興隆期を起こすことになる。チベットではモンゴル勢力の後ろ盾を得たダライラマが全チベットを支配する契機にもなった。なお、ダライラマ4世にはアルタンハーンの曾孫が選ばれた。
歴史
- 1558年:アルタン・ハーンは青海を侵攻中、チベットの商人と戦闘となり打ち負かしたが、僧侶1000人を放免したという。
- 1566年:右翼モンゴルの有力者のホトクタイ・セチュン・ホンタイジはチベット侵攻において、「あなたたちが私たちに従属するなら、私たちはあなたたちの教えを信奉しよう。さもなくば、攻撃する」と伝え、一部のチベット村落を支配下に置いた。ホトクタイ・セチュン・ホンタイジは、アルタン・ハーンにもチベット仏教に帰依することを積極的に勧めた。
- 1571年:アルタン・ハーン、明朝と和議して明から「順義王」の称号を得る。交易が始まり、その街がフフホトとして発展する。
- 1571年:アルタン・ハーン、チベット僧アシンラマの訪問を受け、説法を聞く
- 1572年:アルタン・ハーン、アシンラマから、モンゴルにチベットから活仏を招くように提案
- 1574年:アルタン・ハーン、提案に基づき、ダライラマを迎えるため、書簡と贈り物を持たせて使者をチベットに派遣。合わせてチャブチャールの地に、モンゴル人、チベット人、漢人が協力して寺院を建てた。建設を差配したのはアルタンの四男のビントゥという。
- 1577年4月:明朝、「仰華寺」の名を下賜。
- 1577年10月:チベットへ2回目の使節派遣
- 1578年:チャブチャール会見。
- 1591年:鄭洛統帥率いる明軍に破壊された。
資料
- エルデニバートル2004「モンゴルにおける仏教再興と最古の現存仏教寺院」[1]
ほか