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加治木護国神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年8月31日 (日)

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加治木護国神社・A社殿004.jpg

加治木護国神社は鹿児島県姶良市加治木町仮屋町(大隅国姶良郡)にある招魂社官祭招魂社指定外護国神社加治木招魂社鹿児島藩の官祭招魂社と官修墳墓も参照。

目次

祭神

官祭祭神

  • 靖国神社誌では8柱[1]とある。加治木郷土誌[2]に次の8人が戦死者として記されている。
  • 1落合一郎兼保:9月12日死去。小俣村。忠魂史[3]新潟官修墳墓10-122。
  • 2山田司有本:9月2日死去。会津関山峠。忠魂史[4]大円寺官修墳墓
  • 3伊藤正助世賢:10月25日死去。29歳。忠魂史[5]。大円寺官修墳墓?
  • 4福永孫七郎祐之:10月11日死去。25歳。弥七良祐之とも。忠魂史[6]。大円寺官修墳墓?
  • 5石原七郎太常心:10月24日死去。22歳。忠魂史[7]白河官修墳墓
  • 6米良精之助:平町河原町口。忠魂史[8]。墓所不詳。
  • 7日高喜次郎為義:9月9日死去。25歳。忠魂史[9]。大円寺官修墳墓?
  • 8柏原吉左衛門直次:9月8日死去。24歳。会津領寺町。忠魂史[10]。白河官修墳墓。

歴史

  • 明治2年:<加治木館跡に精矛神社創建>
  • 明治3年6月:加治木招魂社、創建。ただし『靖国神社誌』[11]では創建を明治2年10月とする。鎮座地については元は反土端山、あるいは端山馬場という場所にあった。現在、端山神社があるあたりだろうか。境内解説板では「明治三年本町(端山)に鎮座」とある。1966『加治木郷土誌』[12]では「当社はもと端山馬場にあった」とある。1984『靖国神社百年史 資料篇 下』[13]では「姶良村有志が反土端山に創建した」とある。2018年2月24日「姶良歴史ボランティア協会主催の明治の加治木を歩く」資料[14][15][16]によると、端山神社の近くにあったようだ。創建に領主は関与しなかったのか。祭神数については『靖国神社百年史』では10柱を祀るというが『靖国神社誌』の8柱と合わない。
  • 明治10年2月15日:西南戦争で、薩摩軍第六第七連合大隊は大雪の中、精矛神社や招魂社を参拝して出陣した。
  • 明治16年10月30日:<鹿児島県内の招魂社10社が官祭となるが、加治木招魂社は含まれなかった[17]
  • 明治18年:仮屋町に遷座。境内解説板では「明治十八年仮屋町(反土)に移転遷座」とある。「反土」は範囲が広く、場所の特定は難しい。『靖国神社百年史』では「十八年、仮屋町に移転し、官祭招魂社になった」とあり、官祭招魂社になったのはこの時点だとも読み取れる。『加治木郷土誌』[18]では「明治二十一年にいまの仮屋町に移した」、1983『加治木風土記』[19]では明治21年に「護国神社現在地へ移る」とあり、年代が合わない。
  • 明治40年11月10日:戊辰役戦死者40年祭と佐賀乱後戦死者合祀祭。52柱を合祀。斎主は瀬川大教正(霧島教会設立者の瀬川礫か)。生存者総代の竹下貞永の祭文が伝わる。合祀者名も掲載(1908雑誌「柁城」第3号[20])。1907雑誌「柁城」第1号にも「官祭招魂社へ合祀。我加治木村は村内に於ける。丁役(官軍)以来日露戦役に至る戦病死者五十二名を当官祭招魂社へ合祀出願中の処、今般其筋の認可を得たるに依り遠からぬ中に盛なる合祀祭を行ひ、尚毎年春秋二期に大祭を執行せん筈にて、目下之に要する基本金徴集中なり。」とある。
  • 明治41年5月4日:<稲荷神社、扇和園へ遷座。明治29年に屋形跡(加治木高校グラウンド)から遷座したもの[21]
  • 明治41年6/14:春季例祭を斎行。事情があって延期されていたという。この日は凱旋碑の除幕式も行われた。凱旋碑の「位置は官祭招魂社に隣せる稲荷神社の跡に在り」(1908雑誌「柁城」第5号)。一方、明治41年とされる古写真「鹿児島県加治木古跡欄干橋より招魂社を望む」[22]には現在地に招魂社があるようにもみえる。
  • 明治42年5月27日:春季例祭。海軍記念日。(1909雑誌「柁城」第9号)
  • 大正2年11月28日:「官祭加治木招魂社」が正式名称となる(鹿児島県史[23]
  • 1918年(大正7年)10月1日:<精矛神社が加治木館跡から郊外に移転転出>
  • 昭和14年4月1日:護国神社制度施行により「加治木護国神社」と称す。
  • 昭和20年:戦災で焼失。8月11日の空襲か。仮殿を設ける(境内解説板)。『靖国神社百年史』では昭和26年に仮社殿を設けたとある。
  • 昭和26年4月:「国家公共につくした一般の人々」を合祀[24]
  • 昭和28年:宗教法人として登記(境内解説板)
  • 昭和34年6月24日:上棟式(加治木町政だより59号[25]
  • 昭和34年9月24日:現在地に再建[26](境内解説板)
  • 平成8年:台風被害(境内解説板)
  • 平成9年6月:社殿改修(境内解説板)

境内

現在地は精矛神社がもともとあった。

  • 本社
  • 戊辰役記念碑:大正3年11月、柁城戊辰会が建立。老山武彦書。
  • 加治木郷招魂塚:西南戦争西郷軍戦没者の慰霊碑。「戦亡招魂之表」。当初は現在の検察庁の敷地にあった。
  • 西南之役百周年記念碑
  • 日清日露出征記念碑:昭和10年3月27日建立。日清日露出征記念碑建設同志。
  • 大東亜戦争犠牲者追悼碑:知事寺園勝志書。背面に銘文あり。
  • 義弘公薨去地碑:1607年から1619年まで加治木に住んだ。島津義弘の没地を示した記念碑。内大臣松方正義書。義弘公三百年記念会が1918年11月に建立。
  • 島津義弘顕彰碑:大正7年11月建立。島津久賢撰。
  • 故加治木町長池直一君碑:池直一は1893加治木村長、1913加治木町長を歴任。1915年5月5日死去[27]。川上親晴書。
  • 石仏群
  • 欄干橋:島津義弘が慶長11年に居城に掛けた橋を、島津久徴が石橋で再建したもの。仮屋町あたりにあったが、前後移設。

画像

資料

  • 加治木郷土誌[28]
  • 靖国神社百年史 資料篇 下[29]
  • 1911『加治木郷土史料』[30]
  • 加治木郷土誌[31]:戊辰戦争
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