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報恩講寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年9月7日 (日)
報恩講寺(ほうおんこうじ)は和歌山県和歌山市大川(紀伊国海部郡)の法然旧跡にある浄土宗寺院。本尊は法然(「専修念仏啓運の御影」)。大阪湾に突き出した葛城山地西端部の漁村にあり、讃岐から帰洛する法然が流されて漂着し滞在した地と伝える。西山浄土宗。法然上人二十五霊場第8番札所。大河堂、報恩寺ともいう。通称は大川寺。山号は慈雲山。(参考:同名寺院報恩寺)
歴史
- 1207年12月:流罪となっていた法然が赦免される。
- 1208年10月21日:讃岐から帰京の船が紀伊国の大川浦の油生浜に漂着した。法然はしばらく孫右衛門宅に滞在。村人が帰依し、自刻の彫像を与えたという。地名から大河堂と呼ばれ、後に報恩寺と称した。この日にちなんで新暦換算の11/22-24に「円光大師大会式」(かつては報恩講と呼ばれた)が営まれ、百味御膳が供えられる。
- 1441年8月1日:この日付の「賀太本荘年貢等注進状」(向井家文書)に「大河堂免」1段と記されており、この時点で存在したことが史料で裏付けられる。
- 1670年:和歌山徳川家が和歌山城下に同じ報恩寺という名の寺院を建てた。そのため報恩講寺と改称した。
- 1634年:梶取総持寺末となる。梶取総持寺22世の大江南楚が、禅林寺僧の俊恵を住職に招いたことによる。
- 慶安年間:智観が伽藍再興[1]
- 1729年:本堂再建[2]
- 1764年:山門建立[3]
- 1766年:法然上人二十五霊場、成立。『円光大師御遺跡二十五箇所案内記』刊行。
- 1767年:大坂講中、門前に「円光大師二十五霊場」碑を建立。
- 1827年:鐘楼建立[4]
- 近世:徳本(1758-1818)が参拝。あぶり坂の海岸に徳本名号碑がある。
- 1857年10月:和歌山接待講中、参道入口に「円光大師御遺跡」碑を建立。
- 近代:寺格は准檀林[5]
- 1918年9月15日:参道入口に名号碑建立