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宮川祓所

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年5月8日 (木)

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宮川

宮川祓所は三重県伊勢市の宮川の東岸にあった祓所勅使や祭主を迎える際に川原祓を行った(「神宮の八座置神事について」[1]、神道大辞典[2])。元は「桜の渡し」の少し下流にあったが、1905年(明治38年)11月に世木神社内に移転。その後、1936年(昭和11年)に移転して宮川東岸の場所に復興。中島町に位置した(神宮便覧[3])。伊勢神宮御用材宮川貯木場のあたりか。戦後は廃絶したらしい。川原祓所。伊勢神宮関連旧跡

歴史

  • 長寛年間:平清盛、勅使として参宮。宮川沿いに清盛堤を築く(跡地不詳)。
  • 室町時代:北畠氏が宮川の渡船料を徴収していた。
  • 1624年(寛永1年):山田奉行、宮川堤を築造。
  • 1633年(寛永10年)8月25日:伝説によると、松井孫右衛門という人物が、堤の人柱となったという。
  • 1675年(延宝3年):沈没事故を機に、宮川の渡しは両宮年寄の支配下とすることを幕府が定める。熊野街道沿いの上の渡(柳の渡、中河原口)と、伊勢街道沿いの下の渡(桜の渡、中島口)があった。
  • 1868年(明治1年):初めて宮川に仮橋を架橋。宮川町と小俣村。翌年の洪水で流出。
  • 1879年(明治12年):仮橋架橋。1882年(明治15年)架替。
  • 1897年(明治30年)11月11日:参宮鉄道山田駅開業。「宮川の渡し」は衰退。
  • 1905年(明治38年)11月:祓所、世木神社内に移転。
  • 1906年(明治39年)7月10日:暴風雨により宮川増水。宮川橋など流出。
  • 1911年(明治44年)4月:現在の場所に度会橋を架橋。かつての「上の渡」の少し下流の位置。
  • 1915年(大正4年)9月:松井孫右衛門社を整備。
  • 1919年(大正8年)3月:宮川橋開通。かつての「下の渡」のあたり。
  • 1929年(昭和4年):第58回式年遷宮。
  • 1934年(昭和9年)9月21日:室戸台風。
  • 1936年(昭和11年):祓所、宮川東岸に移転。度会橋の下手という。
  • 戦後:祓所、廃止か。
  • 1953年(昭和28年):第59回式年遷宮
  • 1954年(昭和29年):宮川橋建設。架替か。
  • 1959年(昭和34年)7月15日:山田駅が伊勢市駅に改称


画像

資料

  • 宇治山田市編1929『宇治山田市史』「村社世木坐度会氏神社」[4]:「又域内に修祓所がある勅使や祭主が神宮に参向の節、此処に幄舎を建てて修祓の式を行ふところである。古来宮川の東岸に河原祓所といふがあつて。斎内親王・公卿勅使・例幣使以下神宮参向の砌に祓を受けらるる所であつたが、鉄道の開設以来明治三十八年十一月より当社境内に十坪二合七勺の地を卜し、之を賃借して祓所に充てらるるに至つたものである」
  • 宇治山田市教育会1933『神都読本』[5]:「今山田駅前の世木坐度会氏神社の境内で行はれる勅使の川原祓は、もとこの宮川の川原で行はれた昔の名残りである」
  • 阪本廣太郞1936「祭祀に就て」『神職講習会講演録』[6]:「固よりこのお祭に参列致します神宮祭主宮を初め、又東京から来られます勅使は、これは山田駅にお着と共に元は宮川でしたのが、今日では山田の市中まで汽車が乗込みました関係上、宮川祓の名称だけを存置致しまして、祓戸を山田駅の前に設けまして大祓を致します」
  • 中山朝之助1937『大神宮物語』[7]:「後参宮鉄道の敷かれるや、山田駅前の村社世木神社の境内に祓所を移されたが、近頃宮川の東岸に河原祓所が設けられ、昭和十一年十月の神嘗祭から、奉幣勅使も祭主宮様も神都に入らるると同時に、先づここで河原祓を受けさせられる事となつた。洵に二十有余年ぶりに古儀が芽出たく復興されたものである」
  • 猿田彦神社講本部1943『神宮摂末社巡拝』「宮川祓所」[8]:「小俣神社を拝し終つて、宮川の堤防に出る。参宮街道の渡し場のあつた所で、宮川の祓が思ひ出される。昔、ここに下の渡と、上の渡との二つの渡場があつた。下の渡は、所謂参道筋の宿場で、小俣町から宮川町へ渡る。今の省線の鉄橋(宮川橋)付近を船で渡つたものである。上の渡は、田丸から来る所謂大和熊野街道筋の渡場で、川端から中島町へ渡るやうになつてゐる。今の新らしい度会橋と古い度会橋との中間位いの所を船で渡つたものである。ここを柳の渡とも呼んでゐる。宮川祓所は勅使参向のときの祓所に宛てる所で、参宮街道筋であるため、下の渡しを小俣から渡船で渡つた、今の鉄橋の一寸下手の河原にあつた。ここの河原に幕を張つて幄舎を設け、そこで祓をしたものである。現在の祓所は河原の関係上、新らしい度会橋の下手の河原に設けられ、祭主宮、勅使参向の際の川原祓の所に宛てられてゐる」
  • 大西源一1956『参宮の今昔』「神都の関門宮川」[9]:「宮川は、正しくは豊宮川と云い、また度会川とも云つた。其の川を渡つて東方の宇治山田の地は、古来聖地視せられ、所謂守護不入地であり、豊太閤の絶大なる権力を以てしても、なお憚るところがあり、文禄三年の検地の時にも、此の地域に竿を入れしめることは、敢てなし得なかった程である。かくして宮川は、聖地神都に対する、最も明確なる限界線であつた。。斯の故に、神宮に参向せられるところの斎王や勅使も、必ず此の宮川で祓を行われることにきまつていた。否啻に斎王と勅使とのみではなく、一般庶民の参拝者と雖も、先ず此の川水に禊して身を清め、然る後神都に脚を踏み入れたのである」「ただ勅使参向時の河原祓だけは、宮川の東岸で、昔ながらに行われていたが、今はそれも無くなつた」
  • 1986『宮川用水史』[10]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E7%A5%93%E6%89%80」より作成

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