ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。

東明廟

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月12日 (土)

移動: 案内, 検索

東明廟ソウル近郊にあった百済王室宗廟。初代温祚王の父とされる東明王を祀る。東明王は高句麗の国王とする説もある。即位の翌年に国王が参詣することが多く即位儀礼と結び付いていたとみられる。廃絶。遺構は見つかっておらず、所在地は不明。475年の公州遷都以後は記録はない。

歴史

  • 前18年5月:初代温祚王が「東明王廟」を創建。(『三国史記』「百済本紀」)
  • 29年1月:2代多婁王が「東明廟」に参詣。即位の翌年。(『三国史記』「百済本紀」)
  • 227年4月:旱魃のため7代沙伴王が東明廟に祈願すると雨が降った。(『三国史記』「百済本紀」)
  • 287年1月:9代責稽王が東明廟に参詣。即位の翌年。(『三国史記』「百済本紀」)
  • 299年1月:10代汾西王が東明廟に参詣。即位の翌年。(『三国史記』「百済本紀」)
  • 312年4月:11代比流王が東明廟に参詣。即位から8年後。(『三国史記』「百済本紀」)
  • 345年4月:12代契王が東明廟に参詣。即位の翌年。(『三国史記』「祭祀志」)
  • 371年:慰礼城から漢山城に遷都。東明廟が移転したのかどうかは不明。
  • 393年1月:17代阿〓王が東明廟に参詣。即位の翌年。(『三国史記』「百済本紀」)
  • 406年1月:18代腆支王が東明廟に参詣。即位の翌年。以後、記録にみえない。(『三国史記』「百済本紀」)

資料

  • 『三国史記』
  • 金末式1994「麗・百の東明神話と東明廟」『甲南大学古代文学研究』1
https://shinden.boo.jp/wiki/%E6%9D%B1%E6%98%8E%E5%BB%9F」より作成

注意事項

  • 免責事項:充分に注意を払って製作しておりますが、本サイトを利用・閲覧した結果についていかなる責任も負いません。
  • 社寺教会などを訪れるときは、自らの思想信条と異なる場合であっても、宗教的尊厳に理解を示し、立入・撮影などは現地の指示に従ってください。
  • 当サイトの著作権は全て安藤希章にあります。無断転載をお断りいたします(いうまでもなく引用は自由です。その場合は出典を明記してください。)。提供されたコンテンツの著作権は各提供者にあります。
  • 個人用ツール