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真田山陸軍墓地
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年7月3日 (木)
真田山陸軍墓地(さなだやま・りくぐん・ぼち)は、大阪府大阪市天王寺区玉造本町にある旧日本軍の陸軍墓地。日本最古の陸軍墓地。個人墓碑の数は軍用墓地で最大。一時期、真田山招魂社があったらしい。三光神社に隣接する。墓地内の西南戦争戦死の警察官の墓碑6基は官修墳墓だと思われる。
目次 |
被葬者
官修墳墓被葬者
- 池田九十郎:二等少警部。新潟県士族。豊後国警視六番小隊長。1877年(明治10年)10月1日、臨時病院で死去。7月16日負傷。悠久山招魂社祭神か。靖国神社祭神[1]。
- 柿崎直信:警部補。東京府士族。鹿児島警視出張所詰。1877年(明治10年)9月18日、臨時病院で死去。9月3日負傷。靖国神社祭神[2] 。
- 石井治郎:三等巡査。鹿児島県士族。別働第三旅団輜重隊。1877年(明治10年)9月29日、神戸病院で死去。石井治良。
- 山本豊次郎:四等巡査心得。新潟県士族。警視徴募六番小隊。豊後国警視徴募。1877年(明治10年)8月25日、臨時病院で死去。5月25日負傷。靖国神社祭神[3]。
- 川田徳松:四等巡査心得。茨城県士族。警視徴募三番小隊。豊後国警視徴募。1877年(明治10年)6月17日、船中で死去。5月27日負傷。靖国神社祭神[4]。
- 渡辺勇平:四等巡査心得。愛媛県士族。警視徴募三番小隊。豊後国警視徴募。1877年(明治10年)8月2日、臨時病院で死去。5月27日負傷。靖国神社祭神[5]。
1878年(明治11年)7月、警視局が建設。1879年(明治12年)2月4日、管理が大阪府に移る。
(堀田暁生2006「西南戦争で死亡した巡査の墓碑に関する明治16年作成の新出資料を巡って」)
歴史
1871年(明治4年)に開設。最初の陸軍墓地が設置されたのが大阪だった理由は大阪を陸軍の拠点にする計画があったからである。日本陸軍の創設者である大村益次郎は、戦争で攻撃を受けやすい首都から離れた都市を陸軍の拠点とし、また大阪の都市機能の防衛を重要視して、陸軍の中央機関を大阪に設置することとした。本庁のほか、士官学校や火薬工場、軍病院などを大阪に設置を推進していたが、墓地の設置もその一環であった。しかし、1871年(明治4年)7月の廃藩置県に伴う改革により、御親兵が東京で組織されると従来の大阪を軍事拠点とする方針は変更を余儀なくされた。東京、大阪、鎮西、東北の四鎮台が設置されると、10月には大阪兵部省は廃止となった。
墓地設置と同時に招魂社が創建されたがのち撤去された。
戦時のみでなく平時の事故死者、病死者も埋葬された。個別の墓碑が建てられていたが日露戦争以降は階級ごとの合葬墓碑となった。真田山小学校が設立されたときに大規模な整理が行われた。昭和にはいると、個人墓碑はなくなった。
忠霊塔設立の動きが広まると、仮忠霊堂が建設されたがそのままとなった。
大阪靖国霊場維持会が設立され、のち真田山陸軍墓地維持会と改称した。
(横山篤夫「旧真田山陸軍墓地変遷史」ほか)
- 1870年(明治3年)12月:下田織之助死去。
- 1871年(明治4年)4月10日:陸軍墓地開設。真田山招魂社(祭魂社)も設けられた。
- 1877年(明治10年):西南戦争
- 1890年(明治23年)9月21日:9月16日に死去した陸軍少将の今井兼利の葬儀が墓地で行われた。
- 1906年(明治39年)11月:「明治三十七八年戦役病死者合葬墓碑」建立。士官・准士官・下士官・兵卒に分けられ4基が立てられた。
- 1928年(昭和3年)3月3日:真田山小学校建設。墓地のうち2800坪を提供。敷地縮小のため墓碑の整理が行われた。
- 1931年(昭和6年):ドイツに配慮し、「俘虜」の文字を削除。
- 1931年(昭和6年)11月:翌年1月にかけて個人墓碑13基建立。この時期の個人墓碑建立は珍しい。所属部隊とは別に大阪を出身地とする戦没者について遺族の特別の出願があれば建立を認めたという。
- 1934年(昭和9年)9月:「満洲事変戦病没将兵合葬碑」建立
- 1938年(昭和13年):新道を開設
- 1943年(昭和18年)8月25日:大阪府仏教会、納骨堂(「仮忠魂堂」)を寄付建立。敗戦までに第4師団管区の戦没者8249人の分骨が収められた。
- 1945年(昭和20年)6月1日:空襲。焼夷弾が落とされ、納骨堂や墓碑が破損。15日にも空襲。
- 1945年(昭和20年)8月15日:米軍捕虜殺害事件。大阪憲兵隊が米軍捕虜5人を墓地内で殺害する。
- 1945年(昭和20年)10月31日:大蔵省大阪財務局所管となる。
- 1945年(昭和20年)12月1日:陸軍省・海軍省、廃止。
- 1946年(昭和21年)8月1日:大阪財務局、大阪市に無償貸与。
- 1947年(昭和22年)5月:大阪府遺族連合会設立。
- 1947年(昭和22年)11月15日:財団法人大阪靖国霊場維持会設立。田村徳海(四天王寺住職、初代和宗管長)が初代理事長となる。
- 1948年(昭和23年)9月24日:野田村遺族会、169基を建立。
- 1952年(昭和27年)11月:財団法人大阪靖国霊場維持会、第1回慰霊法要を実施。
- 1954年(昭和29年):管理棟を設置。
- 1954年(昭和29年):本門仏立宗清風寺が慰霊祭に奉仕するようになる。
- 1961年(昭和36年)6月:財団法人大阪靖国霊場維持会の理事長に宝鋳工所(タカラベルモント)社長の吉川秀信が就任。
- 1966年(昭和41年)8月18日:大阪市、表門の鉄扉を修復
- 1969年(昭和44年):第1回墓碑修復
- 1971年(昭和46年):大阪市、納骨堂を修復。
- 1976年(昭和51年):第2回墓碑修復
- 1980年(昭和55年):納骨堂修復。大阪市が負担。納骨堂前に桜を植樹。
- 1981年(昭和56年):第3回墓碑修復
- 1995年(平成7年):国立歴史民俗博物館が3年かけて墓碑の悉皆調査
- 2001年(平成13年)10月28日:「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」設立。
- 2003年(平成15年)10月:財団法人大阪靖国霊場維持会、「財団法人真田山陸軍墓地維持会」と改称。
- 2011年(平成23年):納骨堂に雨漏り発生
- 2013年(平成25年)4月:財団法人真田山陸軍墓地維持会、公益財団法人となる。
- 2004年(平成16年)9月8日:「旧真田山陸軍墓地とその保存を考える会」、NPO法人となる。
- 2010年(平成22年)6月:納骨堂内の悉皆調査を実施。2013年(平成25年)まで。
- 2013年(平成25年):墓碑の保存処理を継続的に実施。
- 2017年(平成29年):近畿財務局が納骨堂を修理
- 2018年(平成30年)9月4日:台風21号による倒木で墓碑が破損
- 2021年(令和3年):近畿財務局、納骨堂の耐震補強工事を開始。
- 2023年(令和5年)8月:納骨堂の修理を着工