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空也堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年11月23日 (日)
空也堂(くうやどう)は、京都府京都市中京区にある天台宗寺院。天慶2年、空也が創建。京都・光福寺と共に六斎念仏の本山だった。光福寺がいわゆる念仏六斎を固守したのに対して、流行の芸能六斎の講社を積極的に取り込み勢力を拡大した。光勝寺、極楽院と号す。櫛笥道場、市中道場、膏薬道場とも呼ばれた。山号は紫雲山。
939年(天慶2年)、空也が三条櫛笥に創建。応仁の乱で焼失したあと、寛永年間に現在地に復興された。 明治までは時宗だった。「時宗鉢叩念仏弘通派」と呼ばれていたらしい。
目次 |
歴史
- 938年(天慶1年):空也が三条櫛笥に創建(現・京都市中京区今新在家西町付近)(明細帳)。空也に帰依した平貞盛が創建したとも。当初は鞍馬に創建されたとも。平貞盛は定盛法師、定阿弥とも称し、「空也僧」「空也聖」の起源になったとの伝承が生まれる。
- 951年(天暦5年):空也、疫病平癒のため十一面観音像を引き回し、茶を煎じ茶筅を振り病者に与える(空也上人絵詞伝)
- 966年(康保3年)11月13日:定阿弥、空也より宗旨教法を継承(明細帳)
- 975年(天禄3年)9月11日:空也死去
- 1299年:『一遍聖絵』に空也が踊念仏を広めたという記述が初めて登場。
- 1428年(正長元年)11月10日:土一揆により空也上人御堂焼亡(薩戒記)
- 1467年:応仁の乱で焼失。一時期、東山西光寺にあったとも。
- 1520年5月:細川高国と三好長輝の合戦で三好長輝が等持院と膏薬道場に陣を置いた(重編応仁記)。新釜座町あたりにあった。
- 1654後光明天皇中陰に焼香[1]
- 1662年(寛文2年):『筆のすさび』によればこの年に現在地へ移転。天正年間、寛永年間とも。
- 1671年:本尊空也像を造立
- 寛永年間:移転。東福門院の援助があった
- 近世:全国の「茶筅」「鉢屋」「鉢叩」などと言われる半僧半俗の俗聖の本山として仰がれるようになる。
- 1708年(宝永5年):火災
- 1725年(享保10年):火災
- 1772年:桃園天皇中陰に焼香
- 1779年:後桃園天皇中陰に焼香
- 1782年(天明2年):『空也上人絵詞伝』刊行。序文に真誉浄阿とあるが浄土宗の可能性がある
- 1788年(天明8年):天明の大火。堂舎焼亡
- 1806年:備中国で空也堂配下の「茶筅」と「穢多」にトラブルが発生。寺社奉行が調査。時宗江戸触頭の日輪寺は極楽院について「天台宗無本寺勅願所」との認識を示し、真言宗新義派江戸触頭真福寺は「時宗」との認識を示して、統一見解がなかったことが分かる。
- 1813年:後桜町天皇中陰に焼香
- 1840年1月8日:光格天皇焼香式に参拝(焼香行列絵巻現存)。郡の講が六斎念仏を参列。皇室との関係を深め、十六菊紋の使用を許可されたという。
- 1846年(弘化3年)3月25日:仁孝天皇中陰仏事に焼香(焼香行列絵巻、行列控が現存)。上島羽橋上講と上里講が参加。幕末、「茶筅」などに代わって、六斎念仏講、七墓念仏、廻国聖との関係を強化していく。
- 1864年(元治元年):禁門の変により堂舎焼失
- 1866年(慶応2年):現在の建物が再建
- 1867年2月17日:孝明天皇中陰仏事に焼香(焼香行列絵巻、行列控が現存)。金銀太鼓四つと雑色着用を許可。上鳥羽橋上講と吉祥院講が六斎念仏を奉納
- 明治3年:火災
- 1873年(明治6年):六斎念仏禁止
- 1883年(明治16年)6月30日:六斎念仏講を配下に置くよう京都府に申請。7月25日、京都府は「六斎念仏禁止」の撤回を通知
- 1887年(明治20年):京都府に申請。配下に鑑札発行
- 1897年2月7日:英照皇太后の泉涌寺での大喪に焼香[2]。上鳥羽橋上、吉祥院、郡、闇魔堂、桂、川島、中島、石島の講員が参列。
- 明治36年3月6日:本願寺明如中陰に六斎念仏参列
- 1912年11月29日:明治天皇焼香式(般舟院宸殿)。明治天皇陵にも参拝
- 1914年:昭憲皇太后焼香式
- 1921年10月13日:空也950年遠忌、宮内省より200円下賜[3]
- 1926年:大正天皇焼香式
- 1940年代:戦時疎開のため本堂を取壊し庫裏を本堂にあてる
- 1951年(昭和26年)10月20日:貞明皇后焼香式[4]
- 1961年10月17日:空也1000年忌
子院
明治に全て廃絶。
- 徳正庵
- 金光庵
- 寿松庵
- 東の坊
- 正徳庵
- 利清庵
- 南の坊
- 西巌庵
(日本歴史地名大系)
組織
歴代住職
- 1空也(903-972)<>:
- 2定阿弥()<>:平貞盛
- 空忍(?-1586)<>:1586年(天正14年)死去[5]
- 76真誉浄阿()<〜1782〜>:1782年(天明2年)在職。誉号を持つことから浄土宗の僧侶である可能性がある。
- 81春雅(?-1845)<>:中興と呼ばれている。権大僧都法印。沈奝。真仍。1845年(弘化2年)5月18日死去[6]
- 82春翁(?-1854)<>:1846年(弘化3年)時点で院代。紫衣。1854年(嘉永7年)9月24日死去[7]
- 83葛原義信(1811-?)<>:島根県木次町出身。石田孫助次男。1845年(弘化2年)4月入寺。1849年(嘉永2年)9月、春翁の養子となり得度。1872年(明治5年)時点で62歳。月輪寺住職・空也堂兼務。1872年(明治5年)在職。妻は春雅の娘。紫衣。空忍上人。[8]
- 84葛原定慶(1859-?)<>:85世とも。1887年(明治20年)在職。名古屋藩出身。水野藤八次男。春浩の実子で葛原義信の養子。1859年(安政6年)生。幼名定麿。画号竹龍。1872年(明治5年)時点で16歳?。[9][10]
- 85空如()<>:1912年(大正元年)在職。紫衣。葛原乗敬か。
- 86葛原定斎(?-1979)<〜1932〜>:1909年(明治42年)東洋大学卒[11]。1932年在職[12]。1979年(昭和54年)12月死去。葛原空寛。[13]
- 87葛原定雅()<>:葛原蒼空。1960年在職[14]。
- 88石田定顕()<>:葛原定雅の孫。京都大学農学部卒。京都大学講師。
資料
史料
- 『社寺取調類纂 国立国会図書館所蔵』「京都府伺時宗鉢扣派空也堂所轄之件」
- 「空也堂文書」
- 「時宗鉢叩念仏弘通派明細帳」:明治5年
- 『焼香式行列絵巻』:天皇の葬儀に参列
- 光格天皇焼香絵巻:1841/1/8。四十九日忌。泉涌寺と般舟院に焼香。無住のため院代
- 仁孝天皇焼香絵巻:弘化3年3月25日
- 孝明天皇焼香絵巻:1867/2/17か
- 『紫雲山極楽院空也堂歌和讃』[15]
- 『茶筌之由来』[16]
- 『空也堂再建勧化 』:1815年。
- 『茶譜茶話聞書空也堂来由』
- 『歓喜踊躍念仏和讃』
- 「空也上人絵詞伝」:1782年。絵入版本。
- 「英照皇太后焼香式参列図」
- 「英照皇太后焼香絵巻」
- 1761「西院河原口号伝」
- 「空也上人絵詞伝」:海北友雪筆。現存せず。
- 『六斎念仏収納録』1884年
- 『本末寺名帳』:明治5年
文献
- 『民間念仏信仰の研究』
- 井上賴壽1954「空也堂の茶筅」[17]
- 1959「空也堂の踊念仏」『講座日本風俗史 第6巻』[18]
- 堀一郎1963「空也念仏と空也僧」『空也』[19]
- 中村茂子1985「空也踊躍念仏の伝播と伝承」[20]
- 市川訓敏1988「極楽院空也堂の非人支配について」『関西大学人権問題研究室紀要』16
- 山路興造1998「空也堂ー市の聖の民衆救済」『京都人権歴史紀行』
- 山路興造2000「六斎念仏考—京都の六斎念仏を中心に」『京都芸能と民俗の文化史』
- 山路興造2004「空也堂ー三昧地を寒行した有髪の僧たち」『講座・人権ゆかりの地をたずねてー講演録』
- 菅根幸裕1987「常陸国宍倉村空也堂と空也僧ー近世空也信仰についての試論」[21]
- 菅根幸裕1997「近世空也信仰の形成と展開ー伯耆国転法輪寺史料を中心に」[22]
- 菅根幸裕2000「近世俗聖の身分をめぐる諸問題—空也聖と空也堂の本末を中心に」『日本の風と俗』[23](限定)
- 菅根幸裕2009『三昧聖史料の分析にみる近世・近代送葬従事者の研究』:天台宗紫雲山極楽院空也堂光勝寺に所蔵される古文書の目録。科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書
- 菅根幸裕2012「近世〜近代の京都六斎念仏の本末組織に関する一考察ー上鳥羽橋上鉦講と空也堂極楽院の史料から」『千葉経済論叢』47[24]
- 菅根幸裕2013「近世関東における鉢叩の形成と展開ー常陸国宍倉空也堂と空也聖」『千葉経済論叢』48[25]
- 菅根幸裕2015「近世後期の俗聖の身分向上をめぐる一考察」『寺社と民衆』11
- 菅根幸裕2021「空也聖の近世ー近代における変容についてー空也堂と六斎念仏講を中心に」『千葉経済論叢』[26]
- 菅根幸裕2024『近世・近代の俗聖と地域社会』
- 渡浩一2001「空也堂蔵『空也上人絵詞伝』と『西院河原口号伝』ー<賽の河原>伝承を中心に」『明治大学教養論集』339[27]
- 村上紀夫2012「まちかどの芸能史17鉢叩きと空也堂」『部落解放』664
- 村上紀夫2015「空也堂・鉢叩きの大坂」『職能民へのまなざし』、2019『近世京都寺社の文化史』
- 藤井寿一2015「部落史素描(6)慶応四年、京都空也堂による紀伊国末派鉢家組織化についての基礎的考察」『熊野』148、『空也堂による鉢屋の組織化』所収?
- 伊藤一郎・早乙女牧人2017「橋本家蔵『瓢箪縁起茶筌由来空也堂法類蓮名』」『東海大学日本語・日本文学研究と注釈』6[28]
- 山中崇裕2017「空也堂系六斎念仏の近世的展開ー「空也上人絵詞伝」を中心に」『佛教大学大学院紀要ー文学研究科篇』45[29]
- 杉﨑貴英2023「近世末期の空也堂・空也聖に関する一資料」[30]