|
ようこそ『神殿大観』へ。ただいま試験運用中です。 |
藤社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年4月29日 (火)
藤社(ふじのやしろ)は三重県伊勢市一志町(伊勢国度会郡)にあった神社。元は伊勢神宮外宮の宮域内にあり、伊勢神宮所管だった。主祭神は度会氏祖神の彦国見賀岐建与束命。山田産土八社の一つ。戦後、坂社に合祀。伊勢神宮関連旧跡。村社。
藤岡山の麓にあったという。今の神馬休養所の北あたりか。 神社の前に藤の木があったため、この名がついたという。外宮摂社度会国御神社の分社とも旧地ともいわれる。
目次 |
祭神
- 彦国見賀岐建与束命:伊勢国造天日別命の子。度会氏の祖神。度会国御神社と同じ祭神。
- 誉田別尊:若宮八幡宮祭神。八日市場町七ツ町にあった。『伊勢旧蹟聞書』では村山家の自宅の東にあり七ツ町として管理していたという。『杉の落葉』では元は魚市場にある夷社の若宮であり、夷社の東南にあったが、「若宮」の名前から他所の「若宮八幡宮」と混同されてしまったという説を挙げている。若宮八幡社。
- 人麿大明神:人麿社祭神。一志久保町風呂屋世古にあった。御神体の柿本人麻呂像は頓阿の作とも、神主度会常昌の作ともいう。石松十太夫家の所蔵だったが、明和年間に祠を建てて祀った。
- 宇賀之御魂神:稲荷社祭神。一志久保町にあった。福井家の祖先が勧請。1877年(明治10年)3月16日、共有の神社として許可を受けた。1889年(明治22年)9月10日、下之久保に遷座。
『元長参詣記』では専女命を祭神とする。
歴史
- 創建不詳
- 1478年(文明10年):『元長参詣記』に記述。
- 1645年(正保2年):<一禰宜度会常晨、度会国御神社を再興>
- 1671年(寛文11年):<世義寺、現在の瀧浪山に移転。一説には世義寺が外宮隣接地にあった時、藤社(国見社と同一ともされる)御神体の石を本尊薬師如来の台座の下に秘事として祀ってしまっていた。世義寺は石と共に移転したが、明治になって本堂破却の時に氏子の請願で返還されたという。(神都古今百物語[1])>
- 1822年(文政5年):『小祠拾』に「産土神八社の内なり」とあり、既に産土神として位置づけられていたことが分かる。
- 1871年(明治4年)11月2日:村社に列格(宇治山田市史)。11月1日とも(宇治山田明治年代記[2])。
- 1873年(明治6年)6月:一志久保町・八日市場町、産土神として奉斎することを請願(宇治山田市史)。
- 1873年(明治6年)9月20日:一志久保町字参道に遷座。神苑の北御門あたり。「百間堀の北方に遷祀」という(宇治山田明治年代記[3])。このときは社殿はなく、御神体の黒石を石壇の上に露坐で奉安したものだったという(宇治山田市史)。『宇治山田市街全圖・神都』の北御門あたりの鳥居のマークが藤社だと思われる。
- 1908年(明治41年)4月15日:八日市場町の無格社の若宮八幡社の合祀が許可される(宇治山田市史)。
- 1908年(明治41年)8月17日:一志久保町の無格社の人麿社の合祀が許可される(宇治山田市史)。
- 1909年(明治42年)2月15日:一志久保町の無格社の稲荷社の合祀が許可される(宇治山田市史)。
- 1909年(明治42年)3月23日:若宮八幡社、人麿社、稲荷社の3社を合祀(宇治山田市史、宇治山田明治年代記[4])。
- 1910年(明治43年)9月14日:神殿を造営した(宇治山田市史、宇治山田明治年代記[5])。
- 1945年(昭和20年):坂社に合祀。
境内
- 藤蔭稲荷社:藤社境内にあった。藤の木の木陰にあったので名付けられた。
- 火除稲荷社:藤社境内にあった。外宮宮域内にあって、大火の際にこの社の場所で火が止まったので火除と名付けられたという。
資料
- 『元長参詣記』:1478年(文明10年)
- 『神境雑話』:1682年(天和2年)。
- 『伊勢国旧蹟聞書』:1747年(延享4年)。度会国御神社の旧地説を載せる。
- 『伊勢参宮名所図会』:1797年(寛政9年)。「藤社」[6]
- 『小祠拾』:1822年(文政5年)。度会国御神社の旧地説を載せる。『小祠比呂比』。
- 『二宮管社沿革考』:御巫清直著。度会国御神社の旧地説を全面否定。