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越中・永福寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年9月21日 (日)

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永福寺(えいふくじ)は富山県富山市梅沢町にある浄土真宗寺院。真宗大谷派院家蓮如の甥の蓮真が中興。富山藩触頭だった。松寺永福寺。山号は医王山。 (参考:同名寺院永福寺

目次

歴史

  • 延暦2年:泰澄弟子の浄定が砺波郡医王山に皆住院聖護寺を創建[1]
  • 文明3年:蓮如に帰依[2]
  • 不詳:蓮真が医王山の天台宗松寺に入る。富山県南砺市才川七にあった。
  • 1511年(永正8年)10月20日:蓮真死去。
  • 1537/12/16:天文日記に興禅軒から借銭したと記述がある
  • 1601/12/28:東本願寺教如から親鸞絵像下付
  • 慶長年間:金沢藩主前田利長により高岡城下に移転。
  • 1636年頃:富山に移転
  • 1650年:院家となる
  • 1668年:この年までには富山藩の東本願寺末の触頭となる


組織

歴代住職

真宗年表より

  • 1:蓮真:玄永:蓮如の甥。城端善徳寺2世。西光寺永存の子。母は蓮如妹の如祐。照護寺、城端善徳寺などに住す。1511年(永正8年)10月20日死去。69歳。
  • 2:賢誓:堯助:蓮真の子。照台寺を開く。『真宗年表』の「実誓」は誤りか。
  • :(良堯)::照台寺堯助の子。「諸家分脈系図」では筆頭に記す。
  • 3:了秀:兼勝:堯助の孫。良堯の子。1580年(天正8年)5月10日死去。
  • 4:了誓:兼英:了秀の孫。了巧の子。川上衆徒を率いて石山合戦に参戦。永福寺号を賜る。素絹を許可される。1631年(寛永8年)10月3日死去。信浄院と号す。
  • 5:蓮真:兼澄:了誓の子。1682年(天和2年)8月3日死去。徳成院。
  • 6:蓮祖:兼笑:蓮真の子。1707年(宝永4年)4月15日死去。遠慶院。
  • 7:蓮浄:兼隆:蓮祖の子。1741年(寛保1年)9月2日死去。定聚院。
  • 8:蓮心:兼尚:蓮浄の子。1751年(宝暦1年)2月3日死去。
  • 9:蓮秀:兼宜:蓮心の子。1756年(宝暦6年)10月16日死去。
  • 10:蓮遵:兼爾:蓮浄の子。1759年相続。1781年(天明1年)11月12日死去。興正院。
  • 11:蓮什:兼利:1777年(安永6年)5月19日死去。蓮好か。
  • 12:蓮能:兼延:二俣本泉寺15世。本泉寺円悟の子。初名は順悟。1768年(明和5年)得度。二位。天明6年10月29日死去。29歳。
  • 13:乗高:兼高:大通寺5世性徳の子。1786年(天明6年)10月、20歳で入寺[3]。1824年(文政7年)1月3日死去。
  • 14:蓮秀:兼利:1861年(文久1年)5月2日死去。
  • 15:厳成:兼延:
  • 16:厳麗:兼彰:
  • 17:長厳然:厳然:1898年(明治31年)8月26日死去。
  • 18:長厳寿:厳寿:1938年(昭和13年)11月25日死去。
  • 19:長現寿:現寿:
  • 20:長闡寿:闡寿:

資料

  • 「諸家分脈系図」永福寺[4]
  • 「大谷一流系図」[5]
  • 『福光町史』[6]
  • 「永福寺系図略記」
https://shinden.boo.jp/wiki/%E8%B6%8A%E4%B8%AD%E3%83%BB%E6%B0%B8%E7%A6%8F%E5%AF%BA」より作成

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