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足羽山招魂社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年6月2日 (火)

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参道

足羽山招魂社は福井県福井市山奥町にある招魂社。官祭招魂社。指定外護国神社。足羽山護国神社。

足羽山には足羽神社や藤島神社もある。

目次

歴史

足羽山
  • 1870年(明治3年)9月29日:旧福井藩主松平慶永、福井藩知事松平茂昭が発起して墓碑を建立。松平茂昭が招魂祭を執行。斎主は藩神道方のに粕谷嘉内(福井市史稿本)。禁門の変戦死者7人と北越戦争戦死者12人を祀る。福井藩軍務寮の管轄とする。例祭は毎年3月15日、9月22日。
  • 1871年(明治4年)9月:招魂場を廃して招魂社とし社殿親営。祭祀料として100石寄進(福井市史稿本)
  • 1873年(明治6年)7月22日:社殿を造営。
  • 1873年(明治6年)10月12日:霊璽を社殿に合祀して招魂社と称す。松平慶永が奉仕か。
  • 1875年(明治8年)8月10日:福井藩民政寮、招魂場の設置を決める(福井市史稿本)
  • 1875年(明治8年):太政官布告で官祭招魂社となる。大区区長の管轄とする。ただし官祭は北越戦争戦死者のみ。禁門の変戦死者は私祭となり、松平家が祭祀料を奉納
  • 1877年(明治10年)7月:神官を設置(福井県神社誌)
  • 1877年(明治10年)8月:石川県達により祭日は9月15日とする
  • 1878年(明治11年)10月7日:明治天皇北陸巡幸に際して祭祀料下賜
  • 1878年(明治11年)11月3日:臨時大祭
  • 1880年(明治13年)7月:松平家からの寄付は100石から25両に変更(福井市史稿本)
  • 1890年(明治23年):受持神官を設置(福井県神社誌)
  • 1906年(明治39年)9月24日:福井県の認可を得て西南戦争戦死者62柱(福井県神社誌では1878年(明治11年)合祀)、日清戦争6柱(市域合併で1人追加)・日露戦争戦死者154柱(追加あり)を私祭祭神として合祀。私祭祭神は市祭とする。(福井市史稿本)
  • 1924年(大正13年)3月10日:陸軍記念日をもって起工。市費と在郷軍人会により社殿改築。境内整備(福井県神社誌)
  • 1924年(大正13年)9月23日:社殿竣工、遷座祭[1]。
  • 1933年(昭和8年)5月27日:事変戦死者13柱(後に3人追加)を私祭祭神として合祀(福井市史稿本)
  • 1933年(昭和8年)10月:昭和天皇、特別大演習の行幸に際して祭祀料下賜(福井県神社誌)
  • 1939年(昭和14年)4月1日:護国神社制度施行により足羽山護国神社と改称。(福井市史稿本)
  • 1939年(昭和14年)9月25日:事変戦死者101柱を合祀(福井市史稿本)
  • 1940年(昭和15年)9月25日:77柱を合祀(福井市史稿本)

(足羽山官祭招魂社全景付由緒)

祭神

死事十二乃碑

官祭祭神12柱。『足羽山官祭招魂社全景付由緒』[2]より

  • 1東方新吾金秋
  • 2高階幾次郎庸久
  • 3岩上直作朝道
  • 4帰山源蔵則章
  • 5吉川作兵衛信勝
  • 6増永磯之助休晴
  • 7大西孝左衛勝行
  • 8前田喜平休高
  • 9山口賢之助賢好
  • 10渡辺源四郎元孝
  • 11若島清三郎:夫卒。
  • 12若島三次郎:夫卒。
  • 「足羽山招魂社祭神名簿」(稿本福井市史下[3])

画像

資料

  • 島津盛太郎1936『福井県神社誌』「足羽山官祭招魂社」[4]
  • 『足羽山官祭招魂社全景付由緒』[5]:祭神一覧、古写真あり。
  • 1941『福井市史--稿本 下』「足羽山招魂社と祭神」[6]:祭神一覧
  • 1941『福井市史--稿本 下』「護国神社」[7]
「https://shinden.boo.jp/wiki/%E8%B6%B3%E7%BE%BD%E5%B1%B1%E6%8B%9B%E9%AD%82%E7%A4%BE」より作成

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