ようこそ『神殿大観』へ。ただいま
試験運用中
です。
空也堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)
空也堂
のソース
移動:
案内
,
検索
以下に示された理由により、このページの編集を行うことができません:
この操作は、
利用者
のグループに属する利用者のみが実行できます。
ページ
名前空間にあるページを編集する権限がありません。
このページのソースを閲覧し、コピーすることができます:
[[file:AFC5378F-1D90-43A1-9AEB-B452465F4F49.jpeg|thumb|500px|]] '''空也堂'''(くうやどう)は、京都府京都市中京区にある[[天台宗]]寺院。天慶2年、[[空也]]が創建。[[京都・光福寺]]と共に[[六斎念仏]]の本山だった。光福寺がいわゆる念仏六斎を固守したのに対して、流行の芸能六斎の講社を積極的に取り込み勢力を拡大した。光勝寺、極楽院と号す。'''櫛笥道場'''、'''市中道場'''、膏薬道場とも呼ばれた。山号は紫雲山。 939年(天慶2年)、空也が三条櫛笥に創建。応仁の乱で焼失したあと、寛永年間に現在地に復興された。 明治までは[[時宗]]だった。「時宗鉢叩念仏弘通派」と呼ばれていたらしい。 == 子院 == [[file:CC28C024-981D-47FF-8DFE-D406C937EAE7.jpeg|thumb|300px|]] 明治に全て廃絶。 *徳正庵 *金光庵 *寿松庵 *東の坊 *正徳庵 *利清庵 *南の坊 *西巌庵 (日本歴史地名大系) ==組織== ===歴代住職=== *1[[空也]](903-972)<>: *2定阿弥()<>:平貞盛 *空忍(?-1586)<>:1586年(天正14年)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/120] *76真誉浄阿()<〜1782〜>:1782年(天明2年)在職 *81春雅(?-1845)<>:中興と呼ばれている。権大僧都法印。沈奝。真仍。1845年(弘化2年)5月18日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/120] *82春翁(?-1854)<>:1846年(弘化3年)時点で院代。紫衣。1854年(嘉永7年)9月24日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/495] *83葛原義信(1811-?)<>:島根県木次町出身。石田孫助次男。1845年(弘化2年)4月入寺。1849年(嘉永2年)9月、春翁の養子となり得度。1872年(明治5年)時点で62歳。月輪寺住職・空也堂兼務。1872年(明治5年)在職。妻は春雅の娘。紫衣。空忍上人。[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982504/1/74] *84葛原定慶(1859-?)<>:85世とも。1887年(明治20年)在職。名古屋藩出身。水野藤八次男。春浩の実子で葛原義信の養子。1859年(安政6年)生。幼名定麿。画号竹龍。1872年(明治5年)時点で16歳?。[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982504/1/74][https://dl.ndl.go.jp/pid/966710/1/137] *85空如()<>:1912年(大正元年)在職。紫衣。葛原乗敬か。 *86葛原定斎(?-1979)<〜1932〜>:1909年(明治42年)東洋大学卒[https://dl.ndl.go.jp/pid/1463221/1/86]。1932年在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/1213972/1/165]。1979年(昭和54年)12月死去。葛原空寛。[https://dl.ndl.go.jp/pid/13198447/1/25] *87葛原定雅()<>:葛原蒼空。1960年在職[https://dl.ndl.go.jp/pid/2987513/1/404]。 *88石田定顕()<>:葛原定雅の孫。京都大学農学部卒。京都大学講師。 ==資料== ===史料=== *『社寺取調類纂 国立国会図書館所蔵』「京都府伺時宗鉢扣派空也堂所轄之件」 *「空也堂文書」 *「時宗鉢叩念仏弘通派明細帳」:明治5年 *『焼香式行列絵巻』:天皇の葬儀に参列 **光格天皇焼香絵巻:1841/1/8。四十九日忌。泉涌寺と般舟院に焼香。無住のため院代 **仁孝天皇焼香絵巻:弘化3年3月25日 **孝明天皇焼香絵巻:1867/2/17か *『紫雲山極楽院空也堂歌和讃』[https://dl.ndl.go.jp/pid/2539018] *『茶筌之由来』[https://dl.ndl.go.jp/pid/2543040] *『空也堂再建勧化 』:1815年。 *『茶譜茶話聞書空也堂来由』 *『歓喜踊躍念仏和讃』 *「空也上人絵詞伝」:1782年。絵入版本。 *「英照皇太后焼香式参列図」 *「英照皇太后焼香絵巻」 *1761「西院河原口号伝」 *「空也上人絵詞伝」:海北友雪筆。現存せず。 *『六斎念仏収納録』1884年 ===文献=== *『民間念仏信仰の研究』 *井上賴壽1954「空也堂の茶筅」[https://dl.ndl.go.jp/pid/11208378/1/26] *1959「空也堂の踊念仏」『講座日本風俗史 第6巻』[https://dl.ndl.go.jp/pid/9541874/1/143] *堀一郎1963「空也念仏と空也僧」『空也』[https://dl.ndl.go.jp/pid/2982504/1/68] *中村茂子1985「空也踊躍念仏の伝播と伝承」[https://dl.ndl.go.jp/pid/12431772/1/19] *市川訓敏1988「極楽院空也堂の非人支配について」『関西大学人権問題研究室紀要』16 *山路興造1998「空也堂ー市の聖の民衆救済」『京都人権歴史紀行』 *山路興造2000「六斎念仏考—京都の六斎念仏を中心に」『京都芸能と民俗の文化史』 *山路興造2004「空也堂ー三昧地を寒行した有髪の僧たち」『講座・人権ゆかりの地をたずねてー講演録』 *菅根幸裕1987「常陸国宍倉村空也堂と空也僧ー近世空也信仰についての試論」[https://dl.ndl.go.jp/pid/13268767/1/82] *菅根幸裕1997「近世空也信仰の形成と展開ー伯耆国転法輪寺史料を中心に」[https://dl.ndl.go.jp/pid/4424961/1/24] *菅根幸裕2000「近世俗聖の身分をめぐる諸問題—空也聖と空也堂の本末を中心に」『日本の風と俗』[https://dl.ndl.go.jp/pid/14022972](限定) *菅根幸裕2009『三昧聖史料の分析にみる近世・近代送葬従事者の研究』:天台宗紫雲山極楽院空也堂光勝寺に所蔵される古文書の目録。科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書 *菅根幸裕2012「近世〜近代の京都六斎念仏の本末組織に関する一考察ー上鳥羽橋上鉦講と空也堂極楽院の史料から」『千葉経済論叢』47[http://id.nii.ac.jp/1451/00001023/] *菅根幸裕2013「近世関東における鉢叩の形成と展開ー常陸国宍倉空也堂と空也聖」『千葉経済論叢』48[http://id.nii.ac.jp/1451/00001016/] *菅根幸裕2015「近世後期の俗聖の身分向上をめぐる一考察」『寺社と民衆』11 *菅根幸裕2021「空也聖の近世ー近代における変容についてー空也堂と六斎念仏講を中心に」『千葉経済論叢』[http://id.nii.ac.jp/1451/00001562/] *菅根幸裕2024『近世・近代の俗聖と地域社会』 *渡浩一2001「空也堂蔵『空也上人絵詞伝』と『西院河原口号伝』ー<賽の河原>伝承を中心に」『明治大学教養論集』339[http://hdl.handle.net/10291/5144] *村上紀夫2012「まちかどの芸能史17鉢叩きと空也堂」『部落解放』664 *村上紀夫2015「空也堂・鉢叩きの大坂」『職能民へのまなざし』、2019『近世京都寺社の文化史』 *藤井寿一2015「部落史素描(6)慶応四年、京都空也堂による紀伊国末派鉢家組織化についての基礎的考察」『熊野』148、『空也堂による鉢屋の組織化』所収? *伊藤一郎・早乙女牧人2017「橋本家蔵『瓢箪縁起茶筌由来空也堂法類蓮名』」『東海大学日本語・日本文学研究と注釈』6[https://opac.time.u-tokai.ac.jp/webopac/TC10002410] *山中崇裕2017「空也堂系六斎念仏の近世的展開ー「空也上人絵詞伝」を中心に」『佛教大学大学院紀要ー文学研究科篇』45[https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_DB004500008637] *杉﨑貴英2023「近世末期の空也堂・空也聖に関する一資料」[https://tezukayama.repo.nii.ac.jp/records/2000124] [[Category:京都府]]
空也堂
に戻る。
表示
ページ
議論
ソースを表示
履歴
個人用ツール
案内
神殿大観 メイン
神殿大観 総目次
おまかせ表示
検索
ツールボックス
リンク元
関連ページの更新状況
ファイルをアップロード
特別ページ