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下京・福田寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年7月10日 (水)

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'''福田寺'''(ふくでんじ)は京都府京都市下京区本塩竈町にある[[皇族]]・鎌倉将軍ゆかりの[[時宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。通称は'''汁谷道場'''、'''渋谷道場'''。山号は東岡山。(参考:同名寺院[[福田寺]])
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'''福田寺'''(ふくでんじ)は京都府京都市下京区本塩竈町にある[[皇族]]・鎌倉将軍ゆかりの[[時宗]]寺院。本尊は[[阿弥陀如来]]。[[遊行派]]。通称は'''汁谷道場'''、'''渋谷道場'''。山号は東岡山。この付近は陸奥国塩竈の情景を模した河原院の跡地とされる。[[河原院]]も参照。(参考:同名寺院[[福田寺]])
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== 歴史 ==
 
鎌倉将軍6代宗尊親王(1242-1274)が帰洛後に開いたという。
鎌倉将軍6代宗尊親王(1242-1274)が帰洛後に開いたという。
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親王は[[後嵯峨天皇]]第一皇子で[[亀山天皇]]の兄。1252年、幕府に将軍として迎えられたが1265年に職を解かれ、京都に送還された。
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親王は[[後嵯峨天皇]]第一皇子で[[亀山天皇]]の兄。1252年(建長4年)、幕府に将軍として迎えられたが1265年(文永2年)に職を解かれ、京都に送還された。
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寺伝によると1272年2月、出家して尭空と名乗り、3月、東山汁谷(渋谷、しるたに、しぶたに)に福田寺を建てたという。
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寺伝によると1272年(文永9年)2月、出家して尭空と名乗り、3月、東山汁谷(渋谷、しるたに、しぶたに)に福田寺を建てたという。
ただし一般には法名は行証または覚恵として知られている。
ただし一般には法名は行証または覚恵として知られている。
[[天台]][[律]]だったというが、どのようなものかは不明。
[[天台]][[律]]だったというが、どのようなものかは不明。
『中昔京師地図』には渋谷道の南側に[[仏光寺]]の東に描かれる。
『中昔京師地図』には渋谷道の南側に[[仏光寺]]の東に描かれる。
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1486年には時宗となり、市屋道場[[京都塩竈・金光寺|金光寺]]末となっていた。
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1486年(文明18年)には時宗となり、市屋道場[[京都塩竈・金光寺|金光寺]]末となっていた。
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1598年、[[豊国神社]]造営のため、高倉五条の南(現下京区福田寺町)に移転させられたが、
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1598年(慶長3年)、[[豊国神社]]造営のため、高倉五条の南(現下京区福田寺町)に移転させられたが、
数年のうちに現在地に移転した。[[西本願寺]]造営のために移転させられた本寺金光寺の南に当たる。
数年のうちに現在地に移転した。[[西本願寺]]造営のために移転させられた本寺金光寺の南に当たる。
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朱印地6石。1788年、1864年焼失。 (『日本歴史地名大系』)
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朱印地6石。1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。 (『日本歴史地名大系』)
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2024年7月10日 (水) 時点における最新版

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福田寺(ふくでんじ)は京都府京都市下京区本塩竈町にある皇族・鎌倉将軍ゆかりの時宗寺院。本尊は阿弥陀如来遊行派。通称は汁谷道場渋谷道場。山号は東岡山。この付近は陸奥国塩竈の情景を模した河原院の跡地とされる。河原院も参照。(参考:同名寺院福田寺

鎌倉将軍6代宗尊親王(1242-1274)が帰洛後に開いたという。 親王は後嵯峨天皇第一皇子で亀山天皇の兄。1252年(建長4年)、幕府に将軍として迎えられたが1265年(文永2年)に職を解かれ、京都に送還された。 寺伝によると1272年(文永9年)2月、出家して尭空と名乗り、3月、東山汁谷(渋谷、しるたに、しぶたに)に福田寺を建てたという。 ただし一般には法名は行証または覚恵として知られている。 天台だったというが、どのようなものかは不明。

『中昔京師地図』には渋谷道の南側に仏光寺の東に描かれる。 1486年(文明18年)には時宗となり、市屋道場金光寺末となっていた。 1598年(慶長3年)、豊国神社造営のため、高倉五条の南(現下京区福田寺町)に移転させられたが、 数年のうちに現在地に移転した。西本願寺造営のために移転させられた本寺金光寺の南に当たる。 朱印地6石。1788年(天明8年)、1864年(元治1年)焼失。 (『日本歴史地名大系』)


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