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金刀比羅宮東京分社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2024年10月11日 (金)

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'''金刀比羅宮東京分社'''は東京都文京区本郷にある[[金毘羅信仰]]の神社。エリアとしては本郷というより水道橋に位置する。祭神は[[大物主神]]・[[倉稲魂神]]。香川県の[[金刀比羅宮]]の境外末社でその管轄下にある。[[金刀比羅宮関連旧跡]]
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'''金刀比羅宮東京分社'''は東京都文京区本郷にある[[金毘羅信仰]]の神社。エリアとしては本郷というより水道橋に位置する。祭神は[[大物主神]]・[[倉稲魂神]]。香川県の[[金刀比羅宮]]の境外末社でその管轄下にある。[[金刀比羅宮関連旧跡]]。都内の金毘羅信仰の神社としては他に[[虎ノ門金刀比羅宮]]もある。
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==歴史==
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*1819年(文政2年):下板橋宿の上宿の名主・脇本陣を務めた板橋市左衛門の邸内社として祀られた。
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*1880年(明治13年):私的な邸内社だったが、衆庶が参拝する神社として公認された。
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*1888年(明治21年):讃岐金刀比羅宮の境外末社に列せられた。
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*1890年(明治23年):神田和泉町から深川古石場町に移転。
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*1945年(昭和20年):空襲で焼失。
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*1964年(昭和39年):現在地に遷座復興。高松藩江戸屋敷の邸内社だった[[水道橋金刀比羅神社]]を合祀した。
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1819年、下板橋宿の上宿の名主・脇本陣を務めた板橋市左衛門の邸内社として祀られた。
 
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1880年、私的な邸内社だったが、衆庶が参拝する神社として公認された。
 
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1888年、金刀比羅宮の境外末社に列せられた。
 
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1890年、神田和泉町から深川古石場町に移転。
 
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1945年:空襲で焼失。
 
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1964年:現在地に遷座復興。高松藩江戸屋敷の邸内社だった水道橋金刀比羅神社を合祀した。
 
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2024年10月11日 (金) 時点における最新版

金刀比羅宮分社

出雲分社:島根県出雲市斐川町直江町
神戸分社:兵庫県神戸市兵庫区福原町
東京分社:東京都文京区本郷
松山分社:愛媛県松山市新立町
尾張分社:愛知県一宮市瀬部四日市場
鳥羽分社:三重県鳥羽市鳥羽
大阪分社:廃絶

金刀比羅宮東京分社は東京都文京区本郷にある金毘羅信仰の神社。エリアとしては本郷というより水道橋に位置する。祭神は大物主神倉稲魂神。香川県の金刀比羅宮の境外末社でその管轄下にある。金刀比羅宮関連旧跡。都内の金毘羅信仰の神社としては他に虎ノ門金刀比羅宮もある。

歴史

  • 1819年(文政2年):下板橋宿の上宿の名主・脇本陣を務めた板橋市左衛門の邸内社として祀られた。
  • 1880年(明治13年):私的な邸内社だったが、衆庶が参拝する神社として公認された。
  • 1888年(明治21年):讃岐金刀比羅宮の境外末社に列せられた。
  • 1890年(明治23年):神田和泉町から深川古石場町に移転。
  • 1945年(昭和20年):空襲で焼失。
  • 1964年(昭和39年):現在地に遷座復興。高松藩江戸屋敷の邸内社だった水道橋金刀比羅神社を合祀した。
https://shinden.boo.jp/wiki/%E9%87%91%E5%88%80%E6%AF%94%E7%BE%85%E5%AE%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%88%86%E7%A4%BE」より作成

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