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空也堂

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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*2定阿弥()<>:平貞盛
*2定阿弥()<>:平貞盛
*空忍(?-1586)<>:1586年(天正14年)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/120]
*空忍(?-1586)<>:1586年(天正14年)死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/120]
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*76真誉浄阿()<〜1782〜>:1782年(天明2年)在職。誉号を持つことから浄土宗の僧侶である可能性がある。
*81春雅(?-1845)<>:中興と呼ばれている。権大僧都法印。沈奝。真仍。1845年(弘化2年)5月18日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/120]
*81春雅(?-1845)<>:中興と呼ばれている。権大僧都法印。沈奝。真仍。1845年(弘化2年)5月18日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/120]
*82春翁(?-1854)<>:1846年(弘化3年)時点で院代。紫衣。1854年(嘉永7年)9月24日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/495]
*82春翁(?-1854)<>:1846年(弘化3年)時点で院代。紫衣。1854年(嘉永7年)9月24日死去[https://dl.ndl.go.jp/pid/3025308/1/495]

2025年11月23日 (日) 時点における版

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空也堂(くうやどう)は、京都府京都市中京区にある天台宗寺院。天慶2年、空也が創建。京都・光福寺と共に六斎念仏の本山だった。光福寺がいわゆる念仏六斎を固守したのに対して、流行の芸能六斎の講社を積極的に取り込み勢力を拡大した。光勝寺、極楽院と号す。櫛笥道場市中道場、膏薬道場とも呼ばれた。山号は紫雲山。

939年(天慶2年)、空也が三条櫛笥に創建。応仁の乱で焼失したあと、寛永年間に現在地に復興された。 明治までは時宗だった。「時宗鉢叩念仏弘通派」と呼ばれていたらしい。

目次

子院

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明治に全て廃絶。

  • 徳正庵
  • 金光庵
  • 寿松庵
  • 東の坊
  • 正徳庵
  • 利清庵
  • 南の坊
  • 西巌庵

(日本歴史地名大系)

組織

歴代住職

  • 1空也(903-972)<>:
  • 2定阿弥()<>:平貞盛
  • 空忍(?-1586)<>:1586年(天正14年)死去[1]
  • 76真誉浄阿()<〜1782〜>:1782年(天明2年)在職。誉号を持つことから浄土宗の僧侶である可能性がある。
  • 81春雅(?-1845)<>:中興と呼ばれている。権大僧都法印。沈奝。真仍。1845年(弘化2年)5月18日死去[2]
  • 82春翁(?-1854)<>:1846年(弘化3年)時点で院代。紫衣。1854年(嘉永7年)9月24日死去[3]
  • 83葛原義信(1811-?)<>:島根県木次町出身。石田孫助次男。1845年(弘化2年)4月入寺。1849年(嘉永2年)9月、春翁の養子となり得度。1872年(明治5年)時点で62歳。月輪寺住職・空也堂兼務。1872年(明治5年)在職。妻は春雅の娘。紫衣。空忍上人。[4]
  • 84葛原定慶(1859-?)<>:85世とも。1887年(明治20年)在職。名古屋藩出身。水野藤八次男。春浩の実子で葛原義信の養子。1859年(安政6年)生。幼名定麿。画号竹龍。1872年(明治5年)時点で16歳?。[5][6]
  • 85空如()<>:1912年(大正元年)在職。紫衣。葛原乗敬か。
  • 86葛原定斎(?-1979)<〜1932〜>:1909年(明治42年)東洋大学卒[7]。1932年在職[8]。1979年(昭和54年)12月死去。葛原空寛。[9]
  • 87葛原定雅()<>:葛原蒼空。1960年在職[10]
  • 88石田定顕()<>:葛原定雅の孫。京都大学農学部卒。京都大学講師。

資料

史料

  • 『社寺取調類纂 国立国会図書館所蔵』「京都府伺時宗鉢扣派空也堂所轄之件」
  • 「空也堂文書」
  • 「時宗鉢叩念仏弘通派明細帳」:明治5年
  • 『焼香式行列絵巻』:天皇の葬儀に参列
    • 光格天皇焼香絵巻:1841/1/8。四十九日忌。泉涌寺と般舟院に焼香。無住のため院代
    • 仁孝天皇焼香絵巻:弘化3年3月25日
    • 孝明天皇焼香絵巻:1867/2/17か
  • 『紫雲山極楽院空也堂歌和讃』[11]
  • 『茶筌之由来』[12]
  • 『空也堂再建勧化 』:1815年。
  • 『茶譜茶話聞書空也堂来由』
  • 『歓喜踊躍念仏和讃』
  • 「空也上人絵詞伝」:1782年。絵入版本。
  • 「英照皇太后焼香式参列図」
  • 「英照皇太后焼香絵巻」
  • 1761「西院河原口号伝」
  • 「空也上人絵詞伝」:海北友雪筆。現存せず。
  • 『六斎念仏収納録』1884年
  • 『本末寺名帳』:明治5年

文献

  • 『民間念仏信仰の研究』
  • 井上賴壽1954「空也堂の茶筅」[13]
  • 1959「空也堂の踊念仏」『講座日本風俗史 第6巻』[14]
  • 堀一郎1963「空也念仏と空也僧」『空也』[15]
  • 中村茂子1985「空也踊躍念仏の伝播と伝承」[16]
  • 市川訓敏1988「極楽院空也堂の非人支配について」『関西大学人権問題研究室紀要』16
  • 山路興造1998「空也堂ー市の聖の民衆救済」『京都人権歴史紀行』
  • 山路興造2000「六斎念仏考—京都の六斎念仏を中心に」『京都芸能と民俗の文化史』
  • 山路興造2004「空也堂ー三昧地を寒行した有髪の僧たち」『講座・人権ゆかりの地をたずねてー講演録』
  • 菅根幸裕1987「常陸国宍倉村空也堂と空也僧ー近世空也信仰についての試論」[17]
  • 菅根幸裕1997「近世空也信仰の形成と展開ー伯耆国転法輪寺史料を中心に」[18]
  • 菅根幸裕2000「近世俗聖の身分をめぐる諸問題—空也聖と空也堂の本末を中心に」『日本の風と俗』[19](限定)
  • 菅根幸裕2009『三昧聖史料の分析にみる近世・近代送葬従事者の研究』:天台宗紫雲山極楽院空也堂光勝寺に所蔵される古文書の目録。科学研究費補助金(基盤研究C)研究成果報告書
  • 菅根幸裕2012「近世〜近代の京都六斎念仏の本末組織に関する一考察ー上鳥羽橋上鉦講と空也堂極楽院の史料から」『千葉経済論叢』47[20]
  • 菅根幸裕2013「近世関東における鉢叩の形成と展開ー常陸国宍倉空也堂と空也聖」『千葉経済論叢』48[21]
  • 菅根幸裕2015「近世後期の俗聖の身分向上をめぐる一考察」『寺社と民衆』11
  • 菅根幸裕2021「空也聖の近世ー近代における変容についてー空也堂と六斎念仏講を中心に」『千葉経済論叢』[22]
  • 菅根幸裕2024『近世・近代の俗聖と地域社会』
  • 渡浩一2001「空也堂蔵『空也上人絵詞伝』と『西院河原口号伝』ー<賽の河原>伝承を中心に」『明治大学教養論集』339[23]
  • 村上紀夫2012「まちかどの芸能史17鉢叩きと空也堂」『部落解放』664
  • 村上紀夫2015「空也堂・鉢叩きの大坂」『職能民へのまなざし』、2019『近世京都寺社の文化史』
  • 藤井寿一2015「部落史素描(6)慶応四年、京都空也堂による紀伊国末派鉢家組織化についての基礎的考察」『熊野』148、『空也堂による鉢屋の組織化』所収?
  • 伊藤一郎・早乙女牧人2017「橋本家蔵『瓢箪縁起茶筌由来空也堂法類蓮名』」『東海大学日本語・日本文学研究と注釈』6[24]
  • 山中崇裕2017「空也堂系六斎念仏の近世的展開ー「空也上人絵詞伝」を中心に」『佛教大学大学院紀要ー文学研究科篇』45[25]
  • 杉﨑貴英2023「近世末期の空也堂・空也聖に関する一資料」[26]
https://shinden.boo.jp/wiki/%E7%A9%BA%E4%B9%9F%E5%A0%82」より作成

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