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宮川祓所

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-)

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宮川祓所は三重県伊勢市の宮川の東岸にあった祓所勅使や祭主を迎える際に川原祓を行った(「神宮の八座置神事について」[1]、神道大辞典[2])。元は「桜の渡し」の少し下流にあったが、1905年(明治38年)11月に世木神社内に移転。その後、はっきりしないが、昭和年間に中島町に移転(神宮便覧[3])。戦後は廃絶したらしい。川原祓所。


  • 宇治山田市編1929『宇治山田市史』「村社世木坐度会氏神社」[4]:「又域内に修祓所がある勅使や祭主が神宮に参向の節、此処に幄舎を建てて修祓の式を行ふところである。古来宮川の東岸に河原祓所といふがあつて。斎内親王・公卿勅使・例幣使以下神宮参向の砌に祓を受けらるる所であつたが、鉄道の開設以来明治三十八年十一月より当社境内に十坪二合七勺の地を卜し、之を賃借して祓所に充てらるるに至つたものである」
  • 阪本廣太郞1936「祭祀に就て」『神職講習会講演録』[5]:「固よりこのお祭に参列致します神宮祭主宮を初め、又東京から来られます勅使は、これは山田駅にお着と共に元は宮川でしたのが、今日では山田の市中まで汽車が乗込みました関係上、宮川祓の名称だけを存置致しまして、祓戸を山田駅の前に設けまして大祓を致します」
  • 猿田彦神社講本部1943『神宮摂末社巡拝』「宮川祓所」[6]:「小俣神社を拝し終つて、宮川の堤防に出る。参宮街道の渡し場のあつた所で、宮川の祓が思ひ出される。昔、ここに下の渡と、上の渡との二つの渡場があつた。下の渡は、所謂参道筋の宿場で、小俣町から宮川町へ渡る。今の省線の鉄橋(宮川橋)付近を船で渡つたものである。上の渡は、田丸から来る所謂大和熊野街道筋の渡場で、川端から中島町へ渡るやうになつてゐる。今の新らしい度会橋と古い度会橋との中間位いの所を船で渡つたものである。ここを柳の渡とも呼んでゐる。宮川祓所は勅使参向のときの祓所に宛てる所で、参宮街道筋であるため、下の渡しを小俣から渡船で渡つた、今の鉄橋の一寸下手の河原にあつた。ここの河原に幕を張つて幄舎を設け、そこで祓をしたものである。現在の祓所は河原の関係上、新らしい度会橋の下手の河原に設けられ、祭主宮、勅使参向の際の川原祓の所に宛てられてゐる」
  • 大西源一1956『参宮の今昔』[7]:「ただ勅使参向時の河原祓だけは、宮川の東岸で、昔ながらに行われていたが、今はそれも無くなつた」
https://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%AE%E5%B7%9D%E7%A5%93%E6%89%80」より作成

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