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健軍神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年1月4日 (土)
健軍神社(けんぐん・じんじゃ)は熊本県熊本市東区健軍本町にある阿蘇信仰の神社。祭神は健軍大神と健磐龍命など阿蘇十二神。郷社。阿蘇四社(阿蘇神社、健軍神社、郡浦神社、甲佐神社)の一つ。健宮(たけみや)とも呼ばれた。
歴史
欽明19年に国司が阿蘇大神を分霊して祀ったのが始まりという。あるいは国司保昌が祀ったとも、承平年間の創建ともいう。平安時代後期に阿蘇神社の支配下に入り、健軍神社、郡浦神社、甲佐神社で三末社、あるいは阿蘇神社も含めて四社と呼ばれた。1113年(永久1年)7月13日、健軍神社の神宮寺が焼失。国司に修造を命じている(長秋記)。1180年(治承4年)には宇治惟泰が「阿蘇并健軍両社」の大宮司に任命され、阿蘇神社と共に管轄されているが、1226年(嘉禄2年)には同族の津屋惟盛に健軍神社の大宮司職が譲られており、阿蘇神社の組織と分離されていったことが分かる。
1326年(嘉暦1年)、阿蘇神社の一祝は肥後国府に対し、阿蘇・健軍・藤崎三社の33年に一度の神宝造替の催行を要請したが実行されないため、1328年(嘉暦3年)に留守所に徴税すべきことを通知している。
1333年(元弘3年/正慶2年)、鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇は三社の本家・領家職を阿蘇神社大宮司に与えた。これ以後、健軍神社は再び阿蘇神社の管轄に入った。もっとも北朝は大友氏に社領の地頭職を認めたので南北朝の対立に巻き込まれた。
(日本歴史地名大系)