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儲慶宮
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年11月19日 (水)
儲慶宮(저경궁)は韓国ソウル特別市中区南大門にあった李朝王室の霊廟。14代宣祖後宮の仁嬪金氏を祀る。廃絶。定遠君の旧邸であり、仁祖の即位前の邸宅の跡である。場所は現在の韓国銀行貨幤金融博物館一帯に当たるとみられる。下乗碑が現存。仁嬪金氏は正妃でないため宗廟に合祀されず、別に霊廟が建てられた。七宮(毓祥宮)に合祀された。続く霊廟の先例となったらしい。
霊位
- 仁嬪金氏(1555-1613):14代宣祖李昖(1552-1608)の後宮。追尊王の元宗の定遠君李琈(1580-1619)の生母であり、第16代仁祖李倧(1595-1649)の祖母に当たる。敬恵裕徳仁嬪金氏。墓は順康園。
歴史
- 1613年:仁嬪金氏死去。
- 1619年:定遠君李琈死去。旧邸に仁嬪金氏や定遠君李琈夫妻の位牌が祀られたとみられる。
- 1624年:仁祖即位。旧邸を松峴宮と称したのはこの頃からか。
- 1632年(仁祖10年):定遠君李琈に王を追尊。その位牌は宗廟に移され合祀され、正妃ではない仁嬪金氏の位牌はそのまま残されることとなった[1]
- 1636年:墓に「仁嬪金氏神道碑」を建立[2]。銘文に「仁嬪祠廟」とあり、霊廟があったことが分かる。
- 1680年:仁嬪金氏の祭祀を継承していた福昌君李楨(仁祖の王孫、麟坪大君李㴭の次男、1642-1680)が、三福の変で処刑。崇善君李澂(仁祖王子、1639-1690)が継承した[3]
- 1683年6月20日:「工事が終わったとはいえ、奉祀者の家屋はまだ造られていないため、奉安できない。担当の役所は、米や布を優先的に支給して、早急に整備を完了させよ」との命令が下った。[4]
- 1743年(英祖19年)6月13日:仁嬪金氏の祠宇は驪川君李増(?-1752)の邸宅に移され、義昌君李珖(宣祖第八王子、定遠君の同母弟、1589-1645)・楽善君李潚(仁祖第八王子、1641-1695)と同じ祠堂に一緒に奉安された[5]
- 1748年(英祖24年):仁嬪祠宇を修復[6]。
- 1749年(英祖25年):驪川君、謀反の疑いで済州島に流罪。
- 1755年(英祖31年)6月2日:松峴宮に仁嬪金氏を祀って霊廟とした[7]。諡号として敬恵を贈った。儲慶宮と称した
- 1870年(高宗7年)1月2日:儲慶宮を景祐宮別廟に遷座合祀[10]
- 1908年(隆煕2年)7月23日:毓祥宮に合祀された。建物は残る
- 1927年(昭和2年)4月:京城歯科医学専門学校が設立されるときに旧霊廟は取り壊された。
(『京城府史』[11]
- 1933年に正門を撤去