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宗廟 (李氏朝鮮)
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2013年8月24日 (土)
李氏朝鮮王朝の宗廟。
太祖3年、李敏道が上申して宗廟の創建を請願した。 同年11月1日、宗廟と社稷の位置を決定 翌年2月起工して、9月25日新宮殿とともに完成した。 開城より四祖(穆祖、翼祖、度祖、桓祖)を遷座して正殿に奉安した。
漢代の制度にならったもので、同堂異室となっている。石室5間、東西に脇の室が2間ずつある。さらに正殿の南側の左右には七祀と功臣を祀る配享廟がある。
太宗8年、太祖が崩御して、穆祖の神主を〓(祧)遷すべき時期となったので、10年、別殿創建の議が起こったが、果たさなかった。世宗3年、ようやく別殿が創建されて11月に完成して「永寧殿」と称した。
(『京城府史』)