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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

元明天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年2月25日 (日)

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奈良県奈良市にある元明天皇陵墓元正天皇陵基王墓が近くにある。奈保山東陵

歴史

元明天皇は、古墳を否定し山丘をもって陵墓となすように命じた。大化の改新以来の薄葬思想がさらに進んだことを示し、「古墳型陵墓」から「山丘型陵墓」への転換期を示す陵墓であるとされる。 721年(養老5年)12月7日に崩御したが、遺詔として、華美な葬儀を戒め、「雍良峯」で火葬し、古墳を築かず、火葬所を山陵とし、碑を建てることを命じている(『続日本紀』)。火葬については既に持統天皇文武天皇の例があり、元明天皇で三番目になる。しかし、古墳を築かないことは、元明天皇に始まるのであった。また天皇陵に限らず、墓碑の類が製作されることは、日本古代の墳墓としては極めて異例である。これらのことは、唐の皇帝陵の影響があったと考えられている。陵碑に関しては鎌倉時代の『東大寺要録』に図示されているが、次第に元明天皇陵の存在は忘れられ、所在地は不明となった。 江戸時代に天皇陵の考証が始まると、当初は「ウワナベ古墳」(中期・5世紀中葉・前方後円墳)が有力視された。しかし、「養老ケ峰」という山で崩落があり、そこから「函石」が出土した。1769年(明和6年)、藤貞幹がこの石こそ『東大寺要録』に記載のある元明天皇陵碑であると考証した(『奈保山御陵碑考証』)。これを受けて文久の修陵の際には、従来の「ウワナベ古墳」ではなく、「養老ケ峰」が元明天皇陵として修復された。このとき、「函石」は山陵頂上部の新造された覆屋に保管されるとともに、1870年(明治3年)には模刻の石碑が製作され、隣接して設置された(非公開)。『文久山陵図』の成功図にも陵頂に小屋が確認できる。一方、ウワナベ古墳はのちに「宇和奈辺陵墓参考地」となった(『文久山陵図』207・山田邦和「元明天皇陵」『歴史検証天皇陵』)。

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