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大聖安寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2025年10月20日 (月)
大聖安寺は、中国北京市西城区牛街街道春風社区南横西街にあった釈迦如来栴檀瑞像奉安の寺院。金朝皇室によって建てられ、元代にはチンギスハーンの神主(位牌)が祀られた。廃絶。一部の建物が残る。通称は柳湖寺。
歴史
金朝の天会12年(1134)、開封から燕京(北京)に王権の象徴とも考えられていた瑞像を迎えた。のち当時の首都上京の大儲慶寺に遷座した。
天会年間(1123-1135)に城内に創建。太宗の皇后が帰依した仏覚大師海慧瓊公、晦堂大師俊公のために建てられた。初期の名前は不明だが、皇統年間初年、3代熙宗から「大延聖寺」の名を下賜された。 1153年に4代皇帝の海陵王(殺害廃位されて王とされたためこの名がある)が上京から燕京に遷都したときには、太廟の仮殿となった。 1166年、伽藍を整備し、8月1日、大仏を建立した。1167年2月に世宗から「大聖安寺」の名を下賜された[1]。金の世宗、章宗の像を祀っていたという。聖安寺では名臣の王磐を慰労する皇太子主催の祝宴が開かれたこともある。元朝の1260年7月、皇室の神主(位牌)を聖安寺に奉遷。翌年9月にチンギスハーン(祖宗)の神主を聖安寺に移す。1262年11月、王権と関わる仏事「仏頂金輪会」を行った。またこの時代、栴檀釈迦像が祀られた。瑞像殿記によると聖安寺に12年間祀られた後、燕宮に移り54年あったあと、火災のため再び聖安寺に迎えられ、1275年、万寿山仁智殿に移されたという。明朝の1446年に再建。「普済寺」と改称。清朝の1776年に乾隆帝が再建。再び「聖安寺」と改称。栴檀釈迦像の複製を祀る瑞像亭があった。文化大革命で破壊され、山門と天王殿のみ残った。瑞象亭は陶然亭公園に移築された。
参考文献
- 藤原崇人、2010「栴檀瑞像の坐す都―金の上京会寧府と仏教」『環東アジア研究センター年報』5
ほか