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妙法華寺
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年8月3日 (木)
妙法華寺(みょうほっけじ)は、静岡県三島市玉沢にある日蓮宗寺院。元は鎌倉にあり、場所は移っているが六老僧の一人日昭(1221-1323)の法灯を継承する寺院。浜門流の拠点。本尊は十界大曼荼羅。日蓮宗久遠寺派の本山・由緒寺院。玉沢妙法華寺。山号は経王山。
目次 |
歴史
- 1271年(文永8年)頃:日蓮高弟の日昭が、師の佐渡配流の後、鎌倉の浜の玉沢の地に浜土法華堂を建立。師不在の鎌倉で門下の統合の拠点とした。
- 1284年(弘安7年)12月:風間信昭なる人物が、1282年(弘安5年)の日蓮の死後、浜土法華堂の傍らにあった工藤祐経の邸跡に、日昭を開山として妙法華寺を創建した(現在の鎌倉実相寺の地か?)。風間信昭は工藤祐経の孫で、越後に所領を持っており、日昭の末流(浜門流)は村田妙法寺を始め、越後に広まった。妙法華寺は足利尊氏の祈願所となり、実相寺と呼ばれたともいう。
- 延文康安頃(1356-1362):地震で被災し、材木座に移転再建(位置不詳)。
- 1538年(天文7年):北条氏康の兵火で焼失。末寺であった越後の村田妙法寺に避難。50年以上、越後にあった。
- 1594年(文禄3年):越後から伊豆伊豆・妙国寺に移った。
- 1621年(元和7年):(1625年(寛永2年)とも)、徳川家康側室の養珠院(お万の方)の寄進で現在地に移転した。
- 1621年(元和7年):旧地の鎌倉にも日潤が鎌倉・実相寺を再興した。
- 1625年(寛永2年)9月:徳川秀忠から朱印地寄進。
- 1791年(寛政3年)11月24日:参詣者の失火で焼失。庫裏のみ焼け残った。
(国史大辞典、日本歴史地名大系、寺院ウェブサイト)
伽藍
- 本堂:
- 祖師堂:本尊は日蓮、日昭、日祐。1820年(文政3年)再建。
- 大書院
- 宝物殿
- 大庫裏
- 奥書院
- 収蔵庫
- 三光堂
- 鐘楼
- 忠霊殿
- 歴代墓地
- 太田家墓地
- 弁才天
- 撰時抄碑
- 覚林院:桜岡山。
組織
歴代住職
- 1日蓮
- 2日昭(1221-1323)<>:妙法華寺開山。六老僧の第一位。弁阿闍梨。名瀬妙法寺(村田妙法寺)を創建。墓は鎌倉実相寺、村田妙法寺にある。
- 3日祐
- 4日運
- 5日湛
- 6日誉
- 7日教
- 8日英
- 9日海
- 10日伝
- 11日周
- 12日弘
- 13日南
- 14日苞
- 15日産
- 16日達
- 17日亮
- 18日遵
- 19日通
- 20日莚(1609-1681)<>:隆源院。身延29世。中村檀林化主10世。小西檀林化主。妙法華寺19世。妙顕寺15世。秋田に流罪。
- 21日叙
- 22日養
- 23日善
- 24日迅
- 25日宗
- 26日言
- 27日好(1655-1734)<>:京都出身。1697年(元禄10年)妙法華寺住職。中村檀林を再興。禅智院。唯妙。1734年(享保19年)7月20日死去。80歳。
- 28日随
- 29日演
- 30日超
- 31日行
- 32日忠
- 33日通
- 34日淳
- 35日春
- 36日逢
- 37日全
- 38日厚
- 39日明
- 40日貞
- 41日桓
- 42日宸
- 43日肇
- 44日能
- 45日温
- 46日栄
- 47日耀
- 48日暉
- 49日長
- 50日厳
- 51日遥
- 52日静
- 53日乗
- 54日勝
- 55日耆
- 56日暹
- 57小川日貞
- 58水村日鴻
- 59小沢日精
- 60日定
- 61小池日官
- 62日性
- 63日慎
- 64松井日叡
- 65小池日恩(1940-)<>:小池政臣。三島市長。
(日蓮宗事典)