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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

宇和津彦神社

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年8月21日 (水)

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宇和津彦神社(うわつひこ・じんじゃ)は愛媛県宇和島市野川新(伊予国宇和郡)にある神社。祭神は宇和津彦神・味〓高彦根神大己貴神。宇和島城下町の総鎮守とされた。国史見在社県社。 通称は一宮大明神

歴史

創建不詳。宇和津彦神は景行天皇皇子で宇和別氏の祖の国乳別皇子とされる。味〓高彦根神は792年、土佐神社から分霊して祀られた。『三代実録』885年2月10日、正六位から従五位下となる。 かつては「神田が森」に祀られていたが、建久年間、橘氏が丸串に移して社殿造営。 1503年、領主が山王宮と共に造営。1587年、戸田勝隆が社殿を没収した。

1596年、藤堂高虎が宇和津彦神社と山王宮を再建。山王宮はこのとき、玉串森(榊森)に遷座。宇和津彦神社の玉串森遷座は伊達秀宗が社殿を建てた1632年のこととも、山王宮と同じ1596年のことともいう。1757年再建。1663年、山王宮は伊達宗利が宇和島城内に遷座し、分離した(現在の南予護国神社の地にあったが、丸之内和霊神社に合祀された)。

須賀浦に御旅所がある。 1871年(明治4年)8月、県社に列格した(神道史大辞典)。

国乳別皇子を祭神とする神社としては他に、福岡県久留米市の弓頭神社があり、その近くに国乳別皇子墓もある。

(『日本歴史地名大系』)

http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%AE%87%E5%92%8C%E6%B4%A5%E5%BD%A6%E7%A5%9E%E7%A4%BE」より作成

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