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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

宇多天皇陵

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年11月4日 (月)

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京都府京都市右京区鳴滝宇多野谷にある宇多天皇陵墓大内山陵仁和寺関連旧跡

歴史

『日本紀略』によると承平元年(931)7月19日、宇多天皇は自らが建てた仁和寺にて65歳で崩御。『帝王編年記』によると8月5日、仁和寺裏山の大内山で火葬されたが、遺詔により山陵と国忌は設けられなかったという。しかし日本紀略の9月5日条に「大内山陵」に「改葬」したとある。 長年、所在不明だったが1855年の浅野長祚著『歴代廟陵考補遺』で大内山内の現在地が示された。「宇多冢」と呼ばれていたともいう。 1863年の文久の修陵で陵墓として整備した。(『国史大辞典』、『日本歴史地名大系』、『文久山陵図』228)


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