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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

川原寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年9月12日 (火)

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川原寺(かわらでら)は、天智天皇川原宮跡に創建した古代寺院。現在の大和・弘福寺飛鳥藤原京時代の官寺四大寺の一つ。河原寺弘福寺とも呼ばれた。

歴史

敏達13年(584)、蘇我馬子が創建した(諸寺縁起集)とも斉明元年(655)10月、飛鳥川原宮を寺院とした(元亨釈書、扶桑略記)ともいう。天智天皇が創建ともいう。古瓦から白鳳時代の造営とみられる。 天武2年(673)、日本初の大蔵経写経が行われた。 金堂、三重塔、食堂、僧房、東南院、西南院などがあった。奈良時代末、勤操が別当になっている。

天長9年(832)11月、嵯峨天皇空海に川原寺を下賜(水鏡)。東寺高野山を往復する際の宿所としたと伝え、川原寺東南院に住したという。以後、東寺末となったという。 空海門下の真雅や真然が弘福寺検校となり真言宗寺院となっていく。寛平6年に検校になった聖宝は十一面観音像を造立している。

建久2年(1191)焼失。鎌倉時代には東大寺戒壇院円照門下の教弁が食堂、僧房を再建。室町時代末期に雷火で大打撃を受け、衰退した。 昭和32年から翌年の調査で伽藍跡の全容が判明した。

(日本歴史地名大系、国史大辞典)


川原寺大和・弘福寺の記事の住み分けを見直し中)

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