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常陸・密蔵院

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2026年2月24日 (火)

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「奉読誦大乗妙典一千部/一字一石法華并開結二経〓写/宝暦二二甲戌冬十月吉辰/当院廿二世/両峰参仕大先達祐峰」

密蔵院(みつぞういん)は、常陸国久慈郡(茨城県常陸太田市)長谷にあった修験道本山派の寺院。本尊は十一面観音。本山派二十七先達の一つ。廃絶。長谷寺と号す。長谷密蔵院。山号は蒔田山。(参考:同名寺院密蔵院

跡地のそばに長谷神社がある。(日本歴史地名大系) 水戸藩領内には妙王院もあり、修験支配を二分した。 『院家院室末寺修験頭分書上帳』には「水戸密蔵院」とある

歴史

  • 807年:徳一が開いたという
  • 不詳:佐竹家支族の小野崎通郷の次男の頼祐(道祐)が「長谷別当」となったのが始まり。某、祐慶が継ぎ、4代目の頼祐が修験となった。佐竹系の修験は今宮や真壁常蓮院を中心として、佐竹七党や「葛城衆」と呼ばれ、武装修験集団の一角を担った。
  • 1603年:領主佐竹家が秋田藩に移封。葛城衆の一部も追従する。
  • 1645年:水戸藩、除地30石寄進。
  • 1684年:祐光、聖護院門跡より大先達に任じられる。多賀郡、久慈郡、那珂郡北半分を支配する。
  • 1754年10月:祐峰、「法華経弌千部塔」建立(碑銘)
  • 1799年5月8日:祐謙が大僧都となる
  • 天保14年:宥寛(祐寛?)還俗(茨城の神社覚書2[1]。大中村大宮大明神(大中神社)の神職に取り立てられ、「黒書院御礼席御目見」の格式を得る
  • 1869年:大宮大明神に移住。小野崎姓を名乗る
  • 1873年4月1日:長谷神社が村社に列格[2]

朱印65石

画像


資料

  • 『開基帳』「山伏」
  • 『新編常陸国志』「密蔵院」[3]
  • 「水戸藩神祇官願書」:『旧水戸藩履歴』[4]
  • 「水戸修験帳」:文化2年。未刊か。彰考館
  • 『市史余談百話集』「今宮大納言坊」[5]
  • 北茨城市史ー上巻[6]
  • 常陸太田市史 通史編 上[7]
  • 「長谷密蔵院旧記」
  • 「山本坊文書」[8]
  • 水戸義公全集[9][10][11][12]
  • 密蔵院系図
  • 里美村史[13]
  • 久慈郡郷土史[14]
  • 『茨城県神社誌』「長谷神社」[15]
http://shinden.boo.jp/wiki/%E5%B8%B8%E9%99%B8%E3%83%BB%E5%AF%86%E8%94%B5%E9%99%A2」より作成

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