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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。東京都の放送局や伊賀でも同様なのか。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

平将門旧跡

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2018年3月19日 (月)

平将門信仰から転送)
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平将門(たいらのまさかど)(?-940)は、御霊神となった平安時代の武将。平氏。平高望の孫。父は平良将とも平良持ともいう。領土の相続争いで、伯父の平国香を殺害。内乱に拡大し、939年(天慶2年)、常陸・下総・上総の国府を制圧。八幡大菩薩の神託を得たと称し、新皇を名乗り新政権を立てようとしたといわれる。下総国猿島郡石井を拠点とした。妙見菩薩を崇拝したとも。藤原秀郷と平貞盛に攻められ、940年(天慶3年)2月14日、猿島の北山で戦死。一説に京都で処刑されたが、首が飛行して東国に帰ったと伝わる。

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