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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

平隆寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2017年10月1日 (日)

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平隆寺(へいりゅうじ)は、奈良県生駒郡三郷町(大和国平群郡)にある聖徳太子ゆかりの融通念仏宗寺院。本尊は石造阿弥陀如来聖徳太子建立四十六寺の一つの施鹿園寺の後身という。平群氏の氏寺ともいう。平群寺施鹿薗寺施鹿恩寺施鹿園院施鹿薗院ともいった。現在は阿弥陀院と号す。山号は無量山。

歴史

「興福寺官務牒疏」には推古9年(601)、平群神手が創建し、本尊は弥勒菩薩という。聖徳太子が休息した場所とも伝える(「聖徳太子伝私記」紙背)。承平7年(937)の「信貴山寺資財宝物帳写」(信貴山文書)が史料上の初出。発掘調査によると、当初は四天王寺式伽藍だったとみられている。奈良時代〜平安時代には現在の本堂の場所に金堂が建てられていた痕跡があり、金堂の南東に塔がある特殊な伽藍配置になったとも考えられている。江戸時代の元禄年間には古代伽藍は金堂跡・講堂跡・塔跡のみとなっており、融通念仏宗の寺院が建てられていた(大和上代寺院志)。文化11年(1814)、現在の本堂を再建。昭和44年、県道建設に伴う緊急発掘と昭和49年の発掘調査で塔跡を確認。 (日本歴史地名大系)

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