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延暦寺根本中堂
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年3月26日 (日)
延暦寺根本中堂は、滋賀県大津市の比叡山延暦寺の本堂。本尊は薬師如来。最澄の構想した九院・十六院の一つ。一乗止観院、根本大乗止観院、根本止観院とも。
歴史
当初は現在と異なり、根本薬師堂、北に文殊堂、南に経蔵の三つの堂が並んでいた。 本尊の薬師如来像は785年(延暦4年)に最澄が初めて入山した時に東塔北谷虚空蔵尾の霊木を祈祷して彫った像。 これを788年(延暦7年)に堂を建て祀ったのが延暦寺の創建とされる。この時、宝前に供えた灯明が現在も燃え続ける「不滅の法灯」とされる。
のち円珍が三堂を取り込むように、九間四面の大規模な堂宇を建設し、現在の形の原型となった。これは882年(元慶6年)起工で887年(仁和3年)竣工。 935年(承平5年)比叡山始まって以来の大火災で焼失。938年(天慶1年)、良源が再建。中門や回廊を増築した。ただし三堂のうち経蔵は虚空蔵尾に移転され、代わりに最澄を祀る大師堂を祀った。工事は数十年続き、980年(天元3年)になって円融天皇行幸のもと、ようやく落慶法要が営まれた。谷を埋め、廻廊を備えた十一間の巨大な堂となった。 1435年(永享7年)、1494年(明応3年)に焼失したがすぐに再建されたという。
1571年(元亀2年)、織田信長の焼き討ちで焼失。1585年(天正13年)に豊臣秀吉の支援で仮堂を再建。江戸時代になり、天海の進言を受けた徳川家光の命で建てられたのが現在の堂宇。1634年(寛永11年)に着工し、1642年(寛永19年)に竣工した。廻廊を含めて間口51.33m、奥行49.46m、高さ24.27m。
1668年(寛文8年)、1706年(宝永3年)、1753年(宝暦3年)、1798年(寛政10年)(栩葺を銅板葺に変更)、1890年(明治23年)(こけら葺に変更か)、1955年(昭和30年)(栩葺に復旧)などに大修理が行われた。時期は不明だが文殊堂は小祠となりその場所では毘沙門堂が中心にある。
前庭に天神地祇・山王七社を祀る竹台、18の神を祀る鎮壇塚、荒神を祀る荒神塚がある。
2016年から10年間の予定で大改修を行なっている。
(日本歴史地名大系ほか)
建替
- 延暦:
- 仁和:
- 天元:
- 永享:
- 明応:
- 天正仮堂:
- 寛永: