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歴史も教義も制度も無視して、用語も正しく理解しようとせず、「宗教専門新聞」を称しているのは恥ずかしい。ましてや記者の暴力や差別発言や脅迫的発言は論外。
「殺してやる」「お前の脳みそは腐っている」「お前は強姦殺人犯のようだ」。これが「葬式をしない」代わりの21世紀劈頭の「ともいき」の宣言なのか。
「読売新聞では暴力は当たり前だ」(真偽は不明)と何度言われても、本願にはほど遠い。「俺は神戸で人が燃えているのを見てきたからな」と自慢するのが「一流のジャーナリスト」か。
宗教団体・大学・メディアは「平和憲法を守れ」と主張する以前に、自ら刑法を侵さず、労働基準法を守るべきだ。「愚者の自覚」「智者のふるまいをしない」を言い訳とせず、人権同和活動を閉鎖せず、総本山警備員の集団リンチ傷害事件の隠蔽をやめるべきだ。国民の税金も使われた上で、血が流れた事件を曖昧にして落慶法要を行うつもりか。「お前を人権侵害で訴える」というなら早く訴えたらいかがか。
宗教界、言論界から暴力や差別が無くなるにはまだ無量年かかるのか。まあ無理か。

摂津・真光寺

出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2019年3月18日 (月)

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真光寺(しんこうじ)は、兵庫県神戸市兵庫区松原通にある一遍ゆかりの時宗寺院。一遍墓がある。本尊は一遍。時宗の元檀林寺院。山号は西月山。(参考:同名寺院真光寺

歴史

この地には兵庫観音堂があった。 1289年(正応2年)6月、一遍は阿波で発病。7月18日、明石に入る。迎えに船に乗り、兵庫観音堂に入った。8月22日には西宮神社神幸祭の和田岬渡御があり、見舞いに来た西宮神社の神主に十念を授けた。翌8月23日に死去した。

一遍は遺言で遺体を野に捨てるように言い残したが、地元の人々の結縁で火葬して墓を建てたという。 1299年(正安1年)には御影堂があったという。

1301年(正安3年)8月、他阿真教が御影堂を訪れて十三回忌を営んだ。

他阿真教は上奏して伏見上皇から真光寺の号を賜り 他阿呑海後醍醐天皇から西月山の号を賜ったという。

播磨守護の赤松氏の庇護を受け、発展。本堂、観音堂、御影堂などが建てられ、子院38寺があったという。 1468年(応仁2年)11月21日、一条政房が滞在。

1469年(文明1年)10月16日、山名赤松と大内の合戦で焼失。 慶長年間、再建。

長年、清浄光寺の兼務だったが、遊行上人48世・藤沢上人23世の他阿賦国が真光寺に院代を置いた。 1716年(享保1年)御影堂を再建。 (日本歴史地名大系)

子院

  • 修善院:
  • 龍蔵院:
  • 陽徳院:
  • 西北院:
http://shinden.boo.jp/wiki/%E6%91%82%E6%B4%A5%E3%83%BB%E7%9C%9F%E5%85%89%E5%AF%BA」より作成

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