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旭丘神社
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2020年3月29日 (日)
旭丘神社(ひのお・じんじゃ)は宮崎県都城市姫城町にある島津家ゆかりの神社。村社。
祭神
歴史
江戸時代以前からあった氷室天神と、明治初年に創建された軍神社の2社が起源。 氷室天神(上之別府天神)は創建不詳。1615年(元和1年)、北郷忠能が今の市役所のあたりに領主館を建設した時には既にあり、守護神とされた。軍神社は1871年(明治4年)6月28日、操練場の守護神として領主館西方に武甕槌神・経津主神・島津義弘・楠正成を祀って創建。
1873年(明治6年)1月、氷室天神に軍神社の他、周辺の熊野信仰の岩巌神社(岩興神社?)、春日神社2社、菅原神社などを合祀して旭丘神社と改称。村社となった。
合祀年代は不明だが、功雄霊神社は1857年(安政4年)、24代島津久本が、息子の島津久静が痔に苦しんでいるのを見かねて使者を遣わし、京都東山菊谷の祠から分霊して創建したものという。
(神社ウェブサイト、宮崎県神道青年会ウェブサイト)