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有智子内親王墓
出典:安藤希章著『神殿大観』(2011-) 最終更新:2023年1月7日 (土)
京都府京都市右京区嵯峨小倉山緋明神町にある有智子内親王の墓。皇室治定陵墓。有智子内親王(807-847)は嵯峨天皇皇女で、810年(弘仁1年)、数え4歳で初代賀茂斎院となった。方形の墓。
この地は有智子内親王が831年(天長8年)に斎院を退下して隠棲した御殿の跡地という。 後世、姫明神として墳墓の上に祠が築かれて祀られたが、これが訛伝して緋裳明神となり、檀林皇后の緋の袴を埋めた場所とされた。 しかし、明治初年に「山城国葛野郡班田図」(山城国嵯峨庄条里図)の断片が東寺文書から発見され、「宇智内親王御墓」と記されていたことから有智子内親王の墓だと判明したという。同図は828年(天長5年)の成立で、1101年(康和3年)までに加筆されたものが現在に伝わっている。 (日本歴史地名大系ほか)